皆さんは「松の内」という言葉を聞いたことがありますか?
お正月のある期間を表す言葉なのですが、若い方は聞いたことがないという方もいらっしゃるかもしれませんね。
また、「松の内」は全国共通と思う人が多い中で、どうやら関東や関西など、地域によって期間が違うようです。
そこで、この記事では、
- 「松の内」の意味
- 門松を飾る理由や飾り方
- 「松の内」の期間(関東・関西・九州)
- 【2023年(令和5年)】の松の内はいつからいつまで?
- 「松の内が明ける」とは
- 門松を外す日や処分の方法
- しめ飾りや鏡餅はいつまで飾る?
- お正月飾りの使い回しはいい?しめ飾りの保管方法
について解説・紹介していきます。
松の内の意味とは
「松の内」とは、『門松などの正月飾りを飾っておく期間』のことを言い、松の内が終わることは、各家庭に訪れた年神様が天へと帰るということを意味しています。
そのため「松の内」は、『年神様が各家庭に滞在する期間』のことでもあります。
門松(松飾り)を飾る理由とは
お正月には門の前に「門松」を飾る風習がありますが、これは元日に各家庭を訪れるとされる『年神様への目印の役割』があるとされています。
年神様は、五穀豊穣と1年間の幸福をもたらす神様と言われ、ご先祖様が年神様となって各家庭に訪れると考えられたことから、門松などを飾り、年神様を迎える風習が生まれたと言われています。
松が用いられる理由
ところで、なぜ門松に「松」が用いられるのかというと、松などの常緑樹は一年中枯れないことから、昔から不老長寿の象徴であるとされてきました。
加えて、松は「祀(まつ)る」という言葉に近いということや、先端が尖ったものに神様が宿ると考えられていたことから、先端が鋭く尖った松は「神様を待つ木」とされたことが門松に用いられるようになった理由と言われています。
門松を飾るようになったのは平安時代頃と言われていて、当初は松などの常緑樹を庭先に1本立てて神様の依代(よりしろ)としていたようです。
※依代とは神様が宿る場所のことを言います。
その後、室町時代に門の前に松を飾る風習が生まれ、江戸時代頃になると、門松を2対にして置く形になったそうです。
現在では、存在感のある「竹」が主役のように感じてしまいますが、門松に竹が用いられるようになったのは鎌倉時代頃からと言われていて、竹は成長が早いことから「生命力や繁栄の象徴」として長寿を願って門松に加えられるようになったと言われています。
また、節目を作りながらまっすぐ天に向かって成長する竹のように、強くたくましい人生を願う意味もあるようです。
門松の飾り方(雄松・雌松)
門の前に左右に分けて置く門松ですが、2対の門松には雄松・雌松と区別があるのをご存じでしょうか。
「雄松(おまつ)」は、クロマツのことで、葉が鋭く長く硬い(触ると痛い)のが特徴で、樹皮はアカマツに比べて黒っぽい色をしています。
「雌松(めまつ)」は、アカマツのことで、葉は細く柔らかい(触っても痛くない)のが特徴で、樹皮は赤っぽい色をしています。
クロマツは海岸に自生するのに対し、アカマツは山に自生するため、『海からも山からも恵みがありますように』との願いを2つの松に込めたと言われています。
飾る際は、外から玄関に向かって左側が雄松(クロマツ)、右側が雌松(アカマツ)になるように飾るのが決まりです。
ちなみに、キャベツのような見た目の「葉牡丹(はぼたん)」が門松に飾られることがありますが、基本としては左側の雄松の方には白い葉牡丹・右側の雌松の方には赤い牡丹が飾られるそうです。
葉牡丹は、葉が紅白になることや、葉が幾重にも重なることから、「吉事が重なる縁起物」とされています。
元々葉牡丹は、高価で手に入れられなかった牡丹の代用であったと言われていて、見た目が牡丹と似ている葉牡丹は安価だったこともあり、庶民の間で普及することとなったと言われています。
また、門松に用いられている竹はそれぞれ高さが違いますが、実はこれにも理由があります。
3本の竹の長さの意味
3本の竹の長さは、3:5:7の比率になるように作られているのですが、これは2で割り切れない数ということで、縁起が良い数とされています。
結婚式のお祝儀でよく言われますが、偶数は2で割り切れてしまうため、「分かれる(別れ・分裂)」を意味する数であるとして、昔から縁起が悪いとされきました。
また、伝統的な門松では、土台の部分にワラなどで作った莚(むしろ)で包み、荒縄(ワラ縄)で縛ったものがありますが、この荒縄を巻く数も一番下は7回、真ん中は5回、一番上は3回と巻く数が決まっています。
加えて、一番長い竹と7回巻いた荒縄を【男性】、一番短い竹と3回巻いた荒縄を【女性】、真ん中の竹と5回巻いた荒縄を【仲人(なこうど)】とし、仲を取り持つという意味があるとも言われています。
竹の配置にも意味がある
実は、竹の配置にも2通りのパターンがあり、それぞれ意味が違います。
出飾り(でかざり)
「出飾り」は、真ん中の長さの竹を外側に配置した門松のことを言います。
「出飾り」には『人を送り出す』という意味があり、
- 子供の結婚
- 子供の独り立ち
の御利益があるとされています。
迎え飾り(むかえかざり)
「迎え飾り」は、真ん中の長さの竹を内側に配置した門松のことを言います。
「迎え飾り」には『人を引き寄せる』という意味があり、
- 商売繁盛
- 妊娠
といった御利益があるとされています。
門松の種類(切り口の違い)
門松には、切り口が斜めになっている『そぎ』と呼ばれるものと、節部分から真横に切った『寸胴(ずんどう)』と呼ばれるものが存在します。
そぎ型
「そぎ型」の門松は、一説によると、徳川家康が1573年1月25日に起きた三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で武田信玄に敗れたことをきっかけに、「次は武田の首はないぞ」との念を込めて、門松の竹を武田になぞらえて斜めにそぎ落としたことが始まりとされています。
その後、徳川家康が治める領地でそぎ型の門松が広まることとなり、徳川家康が江戸幕府を開き日本統一を果たしたことで、そぎ型の門松が全国的に広まっていったそうです。
また、そぎ型の門松は「切り口の部分が笑って見える」ことから、『福を呼び込む』と言われ、縁起が良いとも言われています。
寸胴型
寸胴型は、室町時代に用いられていた形式となっていて、そぎ型が登場するまでは、寸胴型が一般的だったそうです。
寸胴型の竹を上から見てみると、節があり、切り口が塞がっていることから、「お金が出ていかない」と言われ『お金が貯まる御利益がある』とされています。
そのため、安泰や平穏といった願いを掛ける場合は、寸胴型の門松を飾ると良いと言われます。
松の内は、いつからいつまで?
門松などの正月飾りを飾る期間である「松の内」は、江戸時代までは1月1日の元日から1月15日の「小正月(こしょうがつ)」までとされていましたが、現在では地域によって日にちが違います。
捉え方によっては、門松などの年神様を迎える準備を始める日である12月13日の「正月事始め」からと言われることもあるようですが、一般的には元日に年神様を迎えてから、お見送りするまでの期間(お正月)を「松の内」としているようです。
ちなみに、「小正月」は古来の日本で行われていたかつてのお正月のなごりで、豊作祈願や無病息災を祈る行事が様々行われる日となっています。
関東
関東地方では、主に【1月1日~1月7日まで】を松の内としています。
※中には6日の夜とされるところもあります。
なぜ関東では、1月15日の小正月までではなくなったのかというと、江戸幕府3代将軍・徳川家光の死が関係していると言われています。
松の内の期間が1月7日までに変わった理由
元々、1月15日の松の内が過ぎた後は、1月20日に鏡開きが行われ、年神様が依代としていた鏡餅を食べることで年神様の力をいただき、無病息災を願う大切な日となっていました。
ところが、徳川家光が1651年(慶安4年)4月20日に亡くなり、毎月20日が家光公の月命日となったことで、「月命日と同じ日にお祝い事を行うのはよくない」と、1月11日に鏡開きが変更されたそうです。
しかし、松の内の期間中である1月11日に鏡開きをするのは、「年神様に失礼にあたる」として、今度は1662年に松の内自体を1月7日に変更する御触れが幕府から出されたことで、関東を中心に1月7日までを松の内とする風習が広まったと言われています。
神様のいる期間(松の内)自体を変更してしまうなんて驚きだね!
ちなみに、松の内を短い期間にした理由として、1657年(明暦3年)1月18日に起きた大火災(明暦の大火)も理由に挙げられています。
江戸の大半を焼き尽くしたとされる大火事の教訓から、冬の季節、乾燥して火災が起きやすい状況下に油を含む松を飾る期間を短くすることで、「火災のリスクを少しでも減らしたい」という意図が強くあったようです。
関西
関西地方では、主に【1月1日~1月15日まで】を松の内としています。
これは、関東では幕府の御触れがちゃんと広まったのに対し、関西までは正確に情報が伝わらなかったことが、本来の松の内とされる1月15日がそのまま残った理由だと言われています。
九州
九州地方では、主に【1月1日~1月7日まで】を松の内としているところが多いようですが、地域によって8日・10日・15日までの所もあり、独自の風習があると言われています。
元々九州には、1月7日に行う「鬼夜(おによ)」と呼ばれる儀式があり、この日までを松の内としていたそうです。
「鬼夜」は、日本三大火祭りの一つで、福岡県久留米市にある大善寺玉垂宮で開催されています。
大晦日の夜から7日まで、国家の安泰や五穀豊穣を祈願する「鬼会(おにえ)」と呼ばれる神事が行われ、そのクライマックスとなるのが「鬼夜」となるそうです。
2023年の松の内はいつからいつまで?
【2023年(令和5年)】の「松の内」の主な期間は、下記の通りです。
※地域によって違うこともありますので注意しましょう。
- 関東地方では
『1月1日(日)~1月7日(土)』 - 関西地方では
『1月1日(日)~1月15日(日)』
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 |
「松の内が明ける」とは
一般に、「松の内が明ける」というと、『松の内の期間が終わる』ことを意味しています。
そのため、松の内を過ぎた1月8日や1月16日以降を「松の内が明ける」と言います。
また、松の内が明ける前に行うこととしては、『年賀状』を出すということです。
年賀状は通常、松の内の期間までに出すものとされているため、松の内が明ける1月8日以降(または1月16日以降)からは『寒中見舞い』となります。
ちなみに、「寒中見舞い」はいずれの地域であっても、立春(2月4日頃)の前日までとされていますので、それまでに出すようにしましょう。
門松(松飾り)を外す日はいつ?捨て方は?
門松(松飾り)などの正月飾りを外すことを、「松納め」・「松送り」・「松下がり」・「松下ろし」・「松直し」・「松倒し」などと呼びます。
「松納め」は、松の内の最後の日である『1月7日や1月15日』に行われるのが一般的で、地域によって風習が異なるため断言はできませんが、1月3日~1月20日のいずれかで行われているようです。
また、1月7日に「松納め」を行う地域では、朝に「七草粥(ななくさがゆ)」を食べて無病息災や健康を祈り、その後に松飾りの片付けを行う風習があります。
門松の処分方法
門松などの正月飾りは、小正月(1月15日)に行われる「どんど焼き」と呼ばれる火祭りに持っていき、処分するのが一般的です。
※場所によっては土日に行われるなど、日程が様々あるようです。
「どんど焼き」は、地域によって「左義長(さぎちょう)」・「道祖神祭」・「鬼火たき」・「とんど焼き」・「どんと焼き」・「さいと焼き」・「おんべ焼き」などとも呼ばれています。
ちなみに、年神様を迎えるために使用した「門松」や「しめ飾り」などの正月飾りを炊きあげた炎で燃やすことで、『煙に乗って年神様が天へと帰って行く』とされているため、「どんど焼き」は年神様をお見送りする行事となっています。
また、どんど焼きには【無病息災・五穀豊穣・厄払い・商売繁盛・子孫繁栄】などを祈願する意味もあり、次のような御利益もあると言われています。
どんど焼きのご利益
・書初めを燃やして炎が高く上がると、字が上達する
・どんど焼きの残り火で焼いたお餅を食べると、虫歯にならない・無病息災
・どんど焼きの灰を家の周りに撒くと、厄除けの効果がある
家で処分する方法
中には「忙しくてどんど焼きに持って行けない」、「地域でどんど焼きが行われていない」といった方もいらっしゃると思います。
その場合どうしたら良いのかというと、次の方法で処分すると良いようです。
- 新聞紙などの紙を用意し、右・左・真ん中の順で塩を置く
(お清めのための塩) - その紙で正月飾りを包み、外から見えないようにする
(大きな物は小さく切っても大丈夫です) - 他のゴミとは別にして、ごみ袋に入れて燃えるゴミとして出す
注意点として、自治体によって処分方法が違いますので、必ず自治体の方針に従い、分別して出すようにして下さいね。
しめ縄・鏡餅はそれぞれいつまで飾る?
「しめ縄」・「鏡餅」も取り外す日は決まっており、「しめ縄」は門松と同様に「松の内」が終わる1月7日または1月15日に外すのが一般的です。
しかし、「鏡餅」だけは下げる時期が違い、松の内が明けた後に行われています。
関東・九州(松の内が7日までの地方)
関東や九州地方では、【1月11日】に鏡開きを行うのが一般的です。
鏡開きとは、鏡餅を下げてそのお餅を食べる風習で、神様の依代となった鏡餅を食べることで神様の「魂」をいただき、無病息災を願うものとされています。
関西(松の内が15日までの地方)
関西地方では、【1月20日】に鏡開きを行うのが一般的です。
しかし、京都を中心とした近隣地域では、三が日が明けた1月4日に鏡開きを行っています。
鏡開きでは、乾燥して硬くなったお餅を汁物に入れて食べる風習がありますが、これは元々室町時代以降の武家の風習が、一般にも広まったものとされています。
鏡開きの由来
昔は「二十日正月(はつかしょうがつ)」と言って、1月20日はお正月の『祝い納めの日』(お正月の最終日)として、お正月に残った食材を全て食べ尽くし、神様への感謝と豊穣を祈る日となっていました。
武家の家庭では、刀の刃(は)と、柄(つか)の部分を合わせた言葉である「刀柄(はつか)」という言葉から、「二十日祝い(はつかいわい)」とかけて『刃柄祝い』を行っていたそうです。
「刃柄祝い」は、お正月に鎧(よろい)や兜(かぶと)を飾り、その前にお餅をお供えして1年の無事を祈る風習で、このお餅を「具足餅(ぐそくもち)」と呼び、20日にお汁粉などにして食べていたことが鏡開きの由来とされています。
一方、女性は鏡台の上に鏡餅を置き、鏡開きをする時に初めて顔を見ることから、「二十日を祝い」とかけて『初顔祝い(はつかおいわい)』として鏡台のお餅を食べる風習があったそうです。
ちなみに「鏡開き」では、刃物を使って切ると『切腹』を連想するとして木槌(きづち)や手で割ることが一般的でした。
加えて、「切る」や「割る」といった言葉は縁起が良くないとされたため、「開く」という言葉を使用し、「鏡」は円満・「開く」は末広がりを意味するものとして「鏡開き」と言うようになったとされています。
正月飾りの使い回しはしても良い?
最近では可愛いデザインのしめ飾りなどがたくさん登場していて、「1度切りで捨ててしまうのはもったいない」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
まず、締め飾りといった正月飾りは、年神様を迎えるための大切な役割を果たす神聖なものとされています。
そのため、年神様をお迎えする場合、年神様に対し失礼のないよう使い回すのは避けるべきという考えが一般的です。
また、神様は清浄を好むと言われ、神道では「常若(とこわか)」の精神を大切にしています。
神道においての常若(とこわか)の精神
「常若の精神」とは、若々しく生命力に満ちた状態を尊び、常に新しい状態であろうと循環させていく心の持ちようのことです。
清浄は若々しい生命力を高める効果があり、穢れは生命力を衰退させるとされています。
このことから、神様を迎える際には新しい正月飾りでお招きして神様に喜んでいただき、新たな1年を生きる力をいただくというのが本来のお正月の形となっています。
こういったお正月の意味を考えると、「毎年新しいものに取り替えるべき」ということが分かりますが、新しいものに取り替えなかったからといって罰が当たるということはありません。
全ては本人の心次第ですが、特別神道に沿って飾るというのではなく、季節のインテリアとして飾っているという方は、毎年同じ正月飾りを使ったとしても何ら問題はないでしょう。
しかしながら注意点として、保管方法を誤ると「カビや虫などがつく可能性が高い」と言われていますので気を付けなければなりません。
しめ飾りの保管方法
現在しめ飾りは、藁(わら)で作られていないものもありますが、藁で作られたしめ飾りは正しく保管しておかないと、傷んでしまう可能性があります。
では、保管方法について説明します。
- しめ飾りの汚れやほこりを布で拭き取る
- しめ飾りを新聞紙や布などで包む
- 防虫剤・乾燥剤と一緒にダンボールに入れて日陰の涼しい場所に保管する
注意点としては、ビニール袋などに入れて密封しないということです。
藁は湿気に弱く、ビニール袋に入れて密封してしまうと湿気を逃がすことができなくなってしまします。
そのため、湿気取りの役割も果たす新聞紙で包み、乾燥剤などと一緒に保管するとカビの発生を防ぎ、長く保管することができます。
素敵なしめ飾りを長く楽しむためにも、しっかりと保管してカビや虫などでダメにしてしまわないように気を付けて下さいね。
まとめ:松の内は、門松などの正月飾りを飾っておく期間のこと
- 「松の内」は、元日から訪れた年神様が各家庭に滞在する期間でもある
- 門松には、神様への目印の役割がある
- 「松の内」は、元日の1月1日から始まるが、関東は1月7日まで・関西は1月15日までと地域によって期間が違う
- 「松の内が明ける」とは、松の内が終わることを意味し、松の内が終わった1月8日や1月16日以降のことを言う
- 門松(松飾り)などの正月飾りを外すのは、松の内の最終日である1月7日や1月16日に行われるのが一般的
- 鏡餅は松の内が明けた後の1月11日や1月20日に行われている
- 2023年(令和5年)の松の内は、関東は1月1日(日)~1月7日(土)まで・関西は1月1日(日)~1月15日(日)まで
いかがでしたでしょうか。
松の内は、神様が各家庭に訪れている期間であり、門松などの正月飾りを飾っておく期間を意味することが分かりました。
ちなみに、「明けましておめでとうございます」という言葉は「松の内まで」とされていて、松の内を過ぎて用いる場合は、「ご挨拶が遅れましたが」という言葉をつけると使用しても大丈夫なようです。
ところで、なぜ「あけましておめでとう」という言葉を新年に使用するのかというと、『無事に年神様をお迎えし、新しい年を迎えることができましたね』というお祝いの言葉となっているからになります。
昔は年神様をお迎えすることで、1つ歳を取り、五穀豊穣の御利益が得られるとされていました。
現在では、誕生日になると歳が1つ増えるという数え方ですが、昔は生まれた時点で1歳となり、その後は1月1日の元日に1歳増えるという数え方をしていたのです。
これは、年神様へお供えした食事をいただくことで、年神様の力を分けていただき、新たな1年を過ごす力となるという考えが元になっています。
そのため、新年を迎えるということは、皆が1つ歳を取る喜ばしい日であり、また新たな1年を過ごすことができるというとてもおめでたい日であったわけです。
現在ではあまり意識せず使っている「あけましておめでとう」という言葉ですが、昔の人々にとっては心から喜び合う言葉となっていたのでしょうね。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。