秋といえば、月が綺麗に見えることから、お月見の季節とされていますよね。
お月見は、「十五夜」が有名ですが、「十三夜」と言われるお月見の行事もあるのをご存知でしょうか?
実は「十五夜を見たならその後の十三夜も見たほうが良い」と言われているようですよ。
そこで、この記事では、
- 十三夜の意味と由来
- 十三夜はいつ?
- 十三夜には何をお供えする?
- 十三夜と十五夜の違い
- 十日夜とは
- 樋口一葉の『十三夜』
について、解説・紹介していきます。
十三夜の意味とは
まず始めに、十三夜は「じゅうさんや」と読みます。
十三夜は、新月から数えて「13日目の夜のお月さま」を意味することから『十三夜』と呼ばれていて、旧暦(太陰太陽暦)だと『毎月13日の夜』となり、主に『旧暦9月13日の綺麗な月を観賞するお月見の行事』とされていました。
ちなみに「十三夜」は、旧暦8月15日の「十五夜」の約1ヶ月後である旧暦9月13日になるため、『後の月(のちのつき)』とも言われます。
月は、新月から始まり、15日目で満月となるので、13日目のお月さまは少し欠けた月となりますが、
一年の中で「十五夜の次に綺麗な月が十三夜」だと言われています。
2023年の十三夜はいつ?
【2023年(令和5年)】の「十三夜」は、『10月27日(金)』です。
旧暦では毎年「9月13日」が「十三夜」と決まっていましたが、新暦では太陽の動きを元にした「太陽暦」が用いられていますので、毎年日にちが変わりることとなります。
「十三夜」は年によって、10月の上旬の時もあれば11月上旬の時もあり、約1ヶ月ほど日にちが変わることがあります。
十三夜の由来とは
どうして満月でもない、少し欠けた13日目の月を見る文化が根付いたのか不思議に思いますよね。
「十三夜」の風習が生まれた理由としては、諸説あるようです。
平安貴族の風習が由来?
中国から「十五夜」の風習が伝わった後、広く貴族の間で行われるようになった月見の風習は、延喜19年(西暦919年)に「醍醐天皇(だいごてんのう)」が世を治める時代に、『宇多天皇(うだてんのう)」が「観月の宴」を行った』ことが「十三夜」の由来という説になります。
「十三夜」が美しいと言われる理由としては、少し欠けた月だからこそ「完璧ではない美しさ」が日本人の心に響いたからではないかと言われています。
作物の出来を月を見て占っていたことから
元々旧暦9月13日の時期は小麦の収穫時であったことから、その夜の月の出具合を見て『翌年の小麦の出来を占う風習』があったと言われています。
そのため、『十三夜』の風習が生まれ、「十五夜」と同様に月を鑑賞する行事となったという説になります。
ちなみに、「十五夜」(旧暦8月15日)には『翌年の大麦』の出来を占っていたそうですよ。
また、「水や植物を司る神様」として月を信仰していたことから、月を愛で、収穫を祝う収穫祭が始まりという説もあります。
十三夜のお供えには何がいい?
十五夜には、お月見団子をお供えしているイメージがありますよね。
では、十三夜にはどのような物をお供えするのでしょう?
「十三夜」も「十五夜」と同じように秋の収穫を祝う行事なので、その時期によく収穫される物がお供えされています。
十三夜は別名「栗名月(くりめいげつ)」や「豆名月(まめめいげつ)」とも言われていますが、これは栗や豆の収穫時期であることから、そのような名前で呼ばれているわけですね。
ちなみに、十五夜は「芋名月(いもめいげつ)」と言われます。
お供え物には、お月見団子や里芋・さつま芋・豆・栗・果物・ススキなどが上げられますが、一つ一つにはきちんと意味があるのでご紹介します。
お月見団子の意味
お月見団子は満月の形に作ってピラミッド形に積み重ねます。
ピラミッドの形は1番上にいくほど尖っていますが、その先は天につながっていて、感謝の気持ちを神様に伝える、という意味からそのように飾られているそうです。
積み上げているだけに見えるお団子ですが、実はお供えする数が決まっていて、『十五夜には15個』、『十三夜には13個』のお団子をお供えすると良いとされています。
また、お団子は、十五夜にちみ「一寸五分」(約4.5センチ)ぐらいの大きさで作られるそうです。
そして、月にお供えした後で食べると、『健康や幸せに恵まれる』と言われています。
里芋や豆、果物の意味
十五夜には「里芋」や「さつま芋」が、十三夜にはその時に収穫される「豆」や「栗」がお供えされます。
ちなみに、里芋は形が月にみたいに丸いから、という理由で飾られているのだそうです。面白いですね!
また、「ぶどう」や「さつま芋」の『ツル』をお供えすると、そのツルのお陰で『月との繋がりが深くなる』と言われ、「縁起が良いお供え物」とされています。
ススキの意味
本来はお米の豊作をお願いするという意味で「稲穂」をお供えしたいところですが、この時期は刈り入れが終わっていないため、代わりに「ススキ」が使われています。
ススキは切り口が鋭いので『魔よけ』の効果があるとして、玄関につるす風習もあるそうです。
また、ススキは茎が空洞になっていることから、神様の依代(よりしろ)とも考えられてきました。
そのため、ススキをお供えすることで『悪霊や災いから収穫物を守り、翌年の豊作も願う』という意味が込められているそうです。
十三夜と十五夜の違いとは?
十五夜と対をなすのが十三夜、この2つを合わせて「二夜の月(ふたよのつき)」と呼びますが、2つの違いは何なのでしょう。
十五夜とは?
そもそも『十五夜』とは、月齢15日目の「満月」のことを意味していますので、年に12回または13回訪れることになります。
また、十五夜は別名「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ばれていますが、これは旧暦の8月15日のことを指します。
旧暦の1年を春夏秋冬で区切った場合、三ヶ月ごとに季節が変わり、秋は(7月・8月・9月)のことです。
それぞれの月は『初秋(7月)・仲秋(8月)・晩秋(9月)』と呼ばれています。
また、8月15日というのは、秋の季節全体においてのちょうど真ん中の日ということもあり、8月15日を「中秋」と呼ぶこともあります。
8月を表す時には「仲」の字、8月15日を表す場合には「中」の字を使っていますので、間違えないように注意してくださいね。
旧暦の8月は、1年の中で最も月が明るく美しいとされていたため、平安時代から月を愛でながら楽しむ「観月の宴(つきのえん)」が開催されていて、江戸時代からは収穫祭として庶民の間でも親しまれるようになりました。
そして、徐々に「十五夜」と言えば「旧暦の8月15日」を表すようになっていったと考えられています。
ちなみに、実際は十五夜が必ずしも満月だとは限らないようです。
月と地球の公転軌道の関係で、1日または2日ずれることが多いので、実は十五夜が満月にあたる年のほうが稀(まれ)だと言われています。
十五夜と十三夜の違い
「十五夜」は元々、中国が由来の月を観賞するお祝いですが、十三夜は「十五夜」から発展した風習で、日本独自のもになります。
また、十五夜はちょうど台風の季節となるため、曇りや雨の日が多く、十三夜はよく快晴の日に当たることから「十三夜に曇りなし」と言われることもあるようです。
「十五夜」と「十三夜」は、どちらも『美しい月を愛で、神様に季節のお供え物をして翌年の収穫を祈る風習』ですが、
「十五夜」は旧暦「8月15日」の行事、「十三夜」は旧暦「9月13日」の行事であり、「十三夜」は日本固有の風習であるという違いがあります。
片月見(かたつきみ)とは?
昔は「十五夜」と「十三夜」を同じ場所で見る風習があったようです。
そして、どちらか一方の月しか見ないことを「片月見(かたつきみ)」と言い、
『十五夜(8月15日)の月を見たら、十三夜(9月13日)の月も見ないと縁起がよくない』などと言われていたそうです。
どうして縁起が悪いのかについては諸説ありますが、最も有力な説は江戸の吉原(遊里)が発祥と言われています。
営業文句であった「片月見」
江戸の吉原(よしわら)で、「十五夜(8月15日)にここで遊んだのなら、十三夜(9月13日)もここに遊びに来なければ縁起が悪いよ」
と言われ始めたことが「片月見」と言われるようになった由来だと考えられています。
吉原とは、江戸時代に男性が女性と遊ぶ場所、つまり風俗街だった場所になります。
『十五夜にしか遊びに来ないなら、片月見になり縁起が悪い』という風に伝えることで、十三夜にもまた遊びに来てもらおうという口実だったわけですね。
ちなみに吉原では、お月見は「紋日(もんび)」という特別な日に設定されていたため、お客さん達もたくさんお金を使っていたようです。
このことから「片月見」は遊女の営業文句のひとつであり、実際に縁起が悪いわけではありませんので、ご安心ください。
また、3つ目のお月見の日として、「十日夜(とおかんや)」と呼ばれる日もありますので、ご紹介します。
十日夜(とおかんや)とは
十日夜(とおかんや)とは、旧暦の「10月10日」に行われる『収穫祭』のことを言い、10月10日の夕方は、稲の刈り取りが終わり、田畑の神様が山や天に帰る日と考えられていたので、「刈り上げ十日」とも呼ばれています。
「十日夜」には、稲の収穫に感謝して、お餅を食べたり、わらを束ねて作った「わらづ」と呼ばれるものや、わらを縄で固く巻いて棒状にした「わら鉄砲」を作り、歌を歌いながらわらで地面を叩き、ネズミやモグラなどの害獣を追い払って『五穀豊穣』をお祈りしていたそうです。
かかしと行うお月見『かかしあげ』
また、「かかしあげ」という風習もあり、かかしは、ただのカラス除けのようなイメージがありますが、昔は『田んぼの神様の化身』とされていました。
そのため、その田畑を見守ってくれた「かかし」を田畑から庭に移して、お団子や収穫物をお供えし、かかしにお月見をさせてあげたり、かかしと一緒にお月見をする地方もあるそうです。
かかしとお月見だなんて、和やかでいいね~。
ちなみに、「十日夜」は東日本を中心に行われてきた行事であり、西日本では旧暦10月の亥の日に似たような収穫祭が行われていたようです。
主に田畑に感謝し、1年の収穫を祝う「十日夜」は、月を主とした「十五夜」と「十三夜」の風習とは少し意味合いが異なりますが、3つの月見を合わせて『三の月(さんのつき)』と呼びます。
十日夜はお月見がメインではないため、毎年「11月10日」に祭りを実施する地方が多いようですが、昔からこの「三の月」が晴れてお月見ができると『縁起が良い』とされています。
樋口一葉の書物「十三夜」とは
小説家であった「樋口一葉」の短編小説に、明治時代に発表された『十三夜』というものがあります。
この作品は、旧暦9月13日の十三夜の一夜に起きた出来事を題材にしており、この時代ならではの女性が耐え忍ぶ立場と、十三夜の月夜が美しく描かれている作品ですのでご紹介します。
『十三夜』のあらすじ
貧しい士族の娘お関は、官吏(高い位)の原田勇に強く望まれて結婚をしました。
しかし子供が生まれると、夫は冷酷無情な態度で接するようになります。
それに耐えかねたお関はある夜離縁を決意し、眠る幼い太郎に切ない別れを告げて無断で実家に帰ることにします。
その日はちょうど十三夜、急な娘の帰省に喜びいそいそと迎える両親。
しかし、遅くなってもなかなか娘が家に帰らないことを父が怪しみ、父に促され、お関はこれまでの経緯を話し、離縁をしたいと哀願します。
母は娘への仕打ちに怒り悲しみ、父はそれをたしなめてお関に「離縁して不幸になるくらいなら、今の生活のまま不幸になりなさい。」と因果を含め説きさとしました。
お関もついには「すべて運命」とあきらめ、力なく夫の家に帰ることを決意します。
その帰り、乗った車屋はなんと幼なじみで秘めた思いのあった高坂録之助でありました。
話を聞けば、彼も結婚後色々なことがあって自暴自棄となり、妻子を捨てて落ちぶれた暮らしをしていたそう。
その人を今目の前にして胸に迫る思いで、二人とも進む道が違ったのだと悲しくなる お関 。
無限の悲しみを抱いたまま、彼にお金を渡し別れ帰って行く…。
という作品です。
明治時代の、男女の恋愛模様がリアルに描かれた作品ですね。
お関が、月光が照らす十三夜の夜道をひとりで歩く姿を想像すると、なんとも悲しい物語です。
まとめ:十三夜は十五夜と同じく、月を眺め翌年の豊作を祈願する日
- 十三夜は旧暦の9月13日のことで、2023年(令和5年)は10月27日(金)が十三夜に当たる
- 十三夜は、十五夜の約1ヶ月後にあるため、「後(のち)の月」とも呼ばれている
- 十三夜の月は、満月ではなく、少し欠けた月となる
- 十五夜は、中国から伝えられた風習だが、十三夜は日本独自に発展した風習
- 十三夜は、別名「栗名月」や「豆名月」とも呼ばれ、月見団子やススキ、その時期に収穫される栗や豆をお供えする
- 十日夜は、旧暦10月10日に行われる収穫祭のことで、十五夜と十三夜と合わせて「三の月」と呼ばれる。
いかがでしたでしょうか。
「十三夜」は「十五夜」と同様に月を愛で、お月様に翌年の豊作を祈ってお供え物をする風習だということが分かりました。
ちなみに、日本では、月の模様を「餅をつくウサギ」に見立てることがありますよね。
しかし他の国では、女性の顔やカニ、本を読むおばあさん、ワニなど色々なものに見立てられているようです。
そもそも月に現れる模様の正体は、「海」と呼ばれる玄武岩に覆われた平坦な地形なのだそうです。
「十三夜」や「十五夜」にはぜひ月を眺め、月の模様が何に見えるか想像してみてください。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。