毎年11月3日は「文化の日」ですが、「文化の日」とはどのような日で、何が行われているのかご存じでしょうか。
祝日ということは知っているものの、「文化の日」について詳しく知らないという方が多いと思います。
また、「文化の日」が11月3日と定められたのには理由があるようですが、いったい何が由来となっているのでしょう。
そこで、この記事では、
- 文化の日の意味や由来
- 文化の日が11月3日の理由
- 文化の日に行われていること
- 文化の日を楽しむ方法
について解説していきます。
文化の日の意味
「文化の日」は、
『自由と平和を愛し、文化をすすめる』という趣旨で、国民の祝日に関する法律に定められています。
なぜ「自由と平和」が「文化の日」に謳(うた)われているのかというと、
1946年(昭和21年)11月3日に公布された『日本国憲法』を記念して「文化の日」が制定されたからになります。
『日本国憲法』は、世界で初めて戦争を放棄することを宣言した憲法で、このことから「自由と平和」という言葉が用いられることとなりました。
文化の日には何が行われている?
文化の日には、
- 文化庁主催の芸術祭
- 文化勲章の授与式
- 日本武道館で全日本剣道選手権大会
などが行われています。
また、全国各地の美術館・博物館で、入場料が無料になったり、地域では文化を学ぶためのイベントが開催されたりしています。
文化庁芸術祭とは
「文化庁芸術祭」とは、芸術の創造と発展を目指し、優れた芸術の鑑賞の機会を提供することで、芸術文化の振興を図ることを目的とした、芸術の祭典のことを言います。
主な内容としては、次のようになっています。
主催公演
文化庁の企画委員会が企画し、芸術団体等に制作を依頼して「主催公演」が行われています。
協賛公演
芸術祭期間中に開催されている公演の中から、芸術祭に相応しい公演作品を選定し、執行委員会が実績を持つ芸術家に依頼して「協賛公演」が行われています。
参加公演
【演劇・音楽・舞踊(ぶよう)・大衆芸能】の部門ごとに参加を募り、執行委員会が選定を行った後、「参加公演」として行われます。
また、部門ごとに評価が行われ、「大賞・優秀賞・新人賞」が贈られます。
参加作品
【テレビ(ドラマ・ドキュメンタリー)・ラジオ・レコード】の部門ごとに参加を募り、執行委員会が選定を行った後、「参加作品」として放送されます。
また、部門ごとに評価が行われ、「大賞・優秀賞・放送個人賞」が贈られます。
出展:文化庁 「文化庁芸術祭について」のホームページはこちらへ
文化勲章の授与とは
「文化勲章(ぶんかくんしょう)」とは、科学技術や文化の発展・向上にめざましい功績を挙げた人に授与される勲一等の勲章になります。
勲章の授与は、皇居宮殿の松の間で行われ、天皇から直接授与されます。
また、文化勲章受賞者は原則『前年度までに文化功労者に選ばれた人の中から』選考されると決められています。
文化功労者とは
「文化功労者(ぶんかこうろうしゃ)」とは、文化の発展・向上に貢献し、功績が認められた人の称号となっていて、文部科学大臣によって決定されます。
この「文化功労者顕彰(けんしょう)制度」は、「文化勲章」などの勲章を授与する際に、金品等の副賞を与えてはいけないという憲法の規定から、貢献者に褒賞を与えるために作られた制度になります。
これにより、文化功労者には終身において、年額350万円の年金が支給されるようになりました。
けれども、「文化功労者」全てに「文化勲章」を授与してしまうと、憲法違反となってしまう恐れがあるため、「文化功労者」の中から数名選考するという形になっています。
※受賞者がいない年もあります。
文化の日の由来・歴史とは
「文化の日」は、1948年(昭和23年)11月3日に公布・施行された国民の祝日ですが、「文化の日」が制定される以前は、
- 【1873年(明治6年)~1912年(明治44年)】
明治天皇の誕生日を祝う「天長節(てんちょうせつ)」 - 【1927年(昭和2年)~1947(昭和22年)】
明治天皇の遺徳を偲(しの)ぶ「明治節(めいじせつ)」
として、11月3日が祝日となっていました。
※遺徳とは、故人・偉人が残した人徳のことを言います。
文化の日の起源「天長節(てんちょうせつ)」とは
「天長節」とは、大日本帝国憲法下で定められた祝祭日で、現在の日本国憲法では、「天皇誕生日」のことを言います。
明治天皇が在位していた1873年(明治6年)に、太陰暦から太陽暦へと移行することとなり、新たに「天長節」が定められることとなったそうです。
以前は「旧暦の9月22日」が明治天皇の誕生日でしたが、新暦では「11月3日」へと変更され、「天長節」と共に「祝日」として制定されることとなったとされています。
新暦になったことで誕生日の日付が変わるのは、なんだか変な感じがするね。
その後、1912年(明治45年)に明治天皇が崩御(ほうぎょ)され、大正天皇が即位した後は、天長節は大正天皇の誕生日へと改正されたため、「11月3日」は祝日ではなくなりました。
※崩御とは、天皇が亡くなることを言います。
しかし、明治天皇が崩御された7月30日は先代の天皇を祀る「先帝祭(せんていさい)」として『明治天皇祭』となり、大正天皇の時代まで祭日となっていました。【1913年(大正2年)~1926年(大正15年)】
「天長節」から「明治節」へ
11月3日が祝日では無くなって以降、
「近代日本へと導き、国の指導者として国民を導いた明治天皇の偉業を後世へ残したい」という国民の思いから、11月3日を「明治節」にしようという国民運動が行われることとなりました。
また、1926年(大正15年)に大正天皇が崩御されたことで、明治天皇の「先帝祭」が無くなるというのは国民にとって耐えがたいことであったため、新たに「明治節」という祝祭日を作って欲しいという要望が、国中で湧き起こることとなったそうです。
そのため、1927年(昭和2年)に「明治節」が制定されることとなり、再び11月3日が祝日となったと言われています。
その後「明治節」は、国家にとって大切な祝日とされ、「新年節(1月1日)」・「紀元節(2月11日)」・「天長節(天皇誕生日)」と合わせて『四大節(しだいせつ)』とされ、宮中祭祀や祝賀式が行われることとなりました。
戦後「明治節」から「文化の日」へ
第二次世界大戦(1939年~1945年)後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の政策により、1948年(昭和23年)に「明治節」は廃止されることが決定します。
GHQは天皇主権ではなく、国民主権の民主化を図り、日本を弱体化させたい狙いがあったからだと言われています。
そのため、戦後すぐに憲法改正が求められた日本政府は、「大日本帝国憲法」を廃止し、新たに「日本国憲法」を作ることになりました。
「大日本帝国憲法」では、初代天皇である「神武天皇(じんむてんのう)」が即位した日を記念して公布日としたことから、「日本国憲法」では、明治天皇を讃える日である「明治節(11月3日)」を公布日にするのが相応しいとされたそうです。
しかし、「日本国憲法」を公布した記念として11月3日を『憲法記念日』とすることは、国政と天皇を結びつけることになると考えたGHQから反対されることとなりました。
その結果、『憲法記念日』は「日本国憲法」が施行された5月3日に定められ、11月3日には世界で初めて戦争放棄を憲法で宣言したことを記念して、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として「文化の日」と制定されました。
ちなみに、「文化の日」と名付けられるまでには、名称は「明治節」にすべきという意見が多くあったそうです。
しかし、国際的・文化的において、とても重要な意義を持つ日であったことから、平和を図り文化を進めるという意味で「文化の日」となったと言われています。
「文化の日」から「明治の日」へ?
現在では、「文化の日」を「明治の日」にしようという活動が、民間団体である「明治の日推進協議会」で平成20年から行われており、近年自民党内でも原案が作られるなど、改正に向けての動きがあるようです。
これは、近代日本を作り上げてきた激動の明治時代を振り返り、国民として成すべきことを考えるきっかけにしたいという思いから行われている活動になります。
「明治の日」にすることについては、「戦前回帰」や「軍国主義の復活」などの懸念から、反対の意見もあり、「明治節」にちなんで「明治の日」へと改正することに、国民主権の観点から異議を唱えることは当然のことと言えるでしょう。
文化の日を無料で楽しむ方法や、行われている行事とは?
11月3日は「文化の日」ですが、11月1日~7日までの1週間は、「教育・文化週間」とされており、全国各地で美術館・博物館の無料開放や、公開講座・体験活動など様々なイベントが開催されています。
また、11月1日は「古典の日」として、古典の朗読コンテストが行われたり、古典にちなんだイベントが各地で行われたりするそうです。
古典の中には、クラシック音楽や海外文学の翻訳などの、海外から入ってきて定着した文化や、武道・茶道・書道といった伝統的な文化も含まれています。
文部科学省のホームページでは、「教育・文化週間」として全国で行われる行事の一覧をまとめた『「教育・文化習慣」全国各地の行事一覧』を掲載してありますので、そちらでぜひイベントを確認してみて下さい。
※令和2年度(第62回)より新型コロナウイルスの影響のためか、イベントが掲載されておりません。
一覧には、「無料」で開催されるものは、「無料」と記載がされてありますので、お得に参加されたい方は要チェックポイントとなっています。
まとめ:文化の日は「日本国憲法」の公布日が由来となっている
- 「文化の日」は、世界で初めて憲法で戦争放棄を宣言したことを記念して、日本国憲法の公布日である11月3日に定められた
- 「文化の日」は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という趣旨がある
- 「文化の日」には、文化勲章の授与式や芸術祭が行われ、美術館や博物館などの無料開放が行われる
- 11月1日~7日までの1週間は「教育・文化週間」となっており、全国各地で様々なイベントが開催され、文化を学ぶ日(体験する日)となっている
- 11月3日が「文化の日」になる以前は、明治天皇の「天長節」であったり、「明治節」であったりした
- 現在では、「文化の日」を「明治の日」にする運動が行われている
いいかがでしたでしょうか。本来「日本国憲法」の公布日である11月3日を「憲法記念日」と定めたかったところ、GHQの反対があったことから「文化の日」となったことが分かりました。
このことから、「日本国憲法」を記念して作られた祝日は「憲法記念日」と「文化の日」の2つ存在するということになります。
天皇を中心に明治時代を歩んできた人々にとって、「明治節」であった11月3日の祝日はどうしても後世に残していきたかったということでしょう。
ちなみに、「文化の日」は前後の日と比べて晴れの確率が高い日として『晴れの特異日』と言われています。
しかしながら、前後の日と比べることなく、"晴れやすい"ということだけで考えると、「文化の日」は晴れが多いとは言えないようです。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。