皆さんは「故事成語(こじせいご)」とは何かをご存知でしょうか。
「聞いたことはあるけど、よく分からない」という方や、「ことわざとの違いが分からない」という方など、明確に答えることができない方がたくさんいらっしゃるようです。
また、中学受験の際の入試問題にも故事成語が出題されていますので、小学生のお子さんでも理解できるように分かりやすく解説していきたいと思います。
そこで、この記事では、
- 故事成語の意味
- 故事成語・ことわざ・慣用句の違い
- 小学生・中学生向け故事成語一覧【50選】
について解説・紹介していきます。
故事成語の意味とは?
「故事成語(こじせいご)」とは、
『昔にあった出来事から生まれた言葉』のことを言います。
有名な故事成語としては、『矛盾(むじゅん)』や『五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)』、『災い転じて福となす(わざわいてんじてふくとなす)』などの言葉があります。
特に中国の逸話(いつわ)から生まれた言葉のことを言い、例え話(たとえばなし)や教訓(きょうくん)などを意味する言葉として使用されています。
※逸話とは、興味深いお話のことです。
〈使用例〉
この前旅番組を見て、芸能人は楽しそうな仕事ばかりで羨(うらや)ましいと思っちゃったよ。
う~ん。それは「井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわず たいかいをしらず)」だね。楽しそうな仕事だと思っても、僕たちには分からない苦労がたくさんあると思うよ。
【「井の中の蛙大海を知らず」の解説】
井戸の中にいる蛙(カエル)は、狭(せま)い井戸の中のことしか知らず、外の世界にある広大な海のことは分かりません。
そのため、
・『自分の狭い知識や考えにとらわれて、広い視野で物事を捉(とら)えることができない』
・『狭い見識にもかかわらず得意げになっている人』
という意味で「井の中の蛙大海を知らず」と言います。
故事成語とことわざの違い
ことわざも昔の出来事から生まれた言葉の気がするけど、違いはあるのかな?
それじゃあ、ことわざの意味と故事成語との違いについてみていこう!
ことわざの意味
故事成語と似た意味の言葉に、「ことわざ」があります。
ちなみに「諺(ことわざ)」は、「俚諺(りげん)」や「俗諺(ぞくげん)」とも言われることがあるよ。
「ことわざ」は、
『教訓や知識、風刺(ふうし)などの意味を含んだ短い言葉』のことを言います。
※風刺とは、社会や人の欠点を遠回しに批判することです。
ことわざと言われる言葉は,、昔の人達が学んだ知識や経験、例え話などから作られたものが多く、一般的には状況を簡潔に表したい時や、用心を促(うなが)したい時の言葉として用いられています。
有名なことわざとしては、『猿も木から落ちる(さるもきからおちる)』や『三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)』、『後悔先に立たず(こうかいさきにたたず)』などの言葉があります。
ことわざの例文
【例文1】
「猿も木から落ちる」と言うし、成功者は失敗の積み重ねだよ。
【例文2】
私だけの思いつきじゃありません。「三人寄れば文殊の知恵」ですよ。
【例文3】
そんなやり方で「後悔先に立たず」にならないようにね。
故事成語もことわざに含まれる
故事成語とことわざの違いですが、「教訓などの意味を含む簡潔な言葉」という点では、故事成語もことわざということになります。
しかし、ことわざの中でも『昔の出来事(主に中国)が由来となって作られた言葉』は、「故事成語」と言います。
そして、故事成語と言われるものには、由来となった話があるのが特徴です。
ポイントは、昔の出来事が由来=故事成語だよ。
故事成語と慣用句の違い
ところで、「慣用句(かんようく)」という言葉も耳にするけど、故事成語やことわざとの違いはあるの?
そうだった。慣用句の意味と違いも理解しておこう!
慣用句の意味
「慣用句(かんようく)」とは、
『2つ以上の単語が結びついてひとまとまりの言葉を構成し、言葉とは別の意味を表す短文』のことです。
慣用句の「慣用」は、「習慣として長い間用いられていきた」という意味があります。
ちなみに単語とは、
①名詞(例:花・星・猫・・・)
②動詞(例:笑う・吹く・走る・・・)
③形容詞(例:美しい・温かい・面白い・・・)
④形容動詞(例:静かだ・綺麗だ・幸せだ・・・)
⑤副詞(ゆっくり・とても・ゆらゆら・・・)
⑥連体詞(あの・こういう・大きな・・・)
⑦接続詞(そして・しかし・つまり・・・)
⑧感動詞(まあ・はい・こんにちは・・・)
⑨助詞(は・が・の・・・)
⑩助動詞(だ・れる・ようだ・・・)
の10種類のことを言いますが、簡単に言うと、文を構成している最小単位です。
例)
(あいたくちがふさがらない)は、6つの単語から構成されている。
有名な慣用句としては、『瓜二つ(うりふたつ)』や『後ろ髪を引かれる(うしろがみをひかれる)』、『顔が広い(かおがひろい)』などの言葉があります。
慣用句の例文
【例文1】
母の友人に会うと、母の子供の頃と「瓜二つ」だとよく言われる。
【例文2】
私は「後ろ髪を引かれる」思いで故郷をあとにした。
【例文3】
友人は「顔が広い」ので、芸能人の知り合いも多いらしい。
慣用句とことわざの違いは定型句か独立した言葉であるか
慣用句も昔から使用されてきた言葉で、言葉によってはことわざとの分類が難しく、一般的には慣用句もことわざと同類として一緒に扱われることが多いようです。
しかし、ことわざは一つの独立した言葉なのに対し、慣用句は「定型句(ていけいく)」という位置づけになっています。
定型句というのは、「いつもお世話になっております」のように、ある決まった言い回しの言葉のことだよ。
ことわざ『可愛い子には旅をさせよ』であれば、その一文で一つの単語(名詞)となるのに対し、慣用句『首を長くする』では、単語(名詞)ではなく、単語の集まりである一つの言い回し表現として扱われます。
可愛い子には旅をさせよ〈名詞〉
※1つの単語
※4つの単語から構成された言い回し表現
そのため、慣用句の「首を長くする」は、「首を長くして(待つ)」のように文脈に合わせて言葉が変化することもあります。
また、ことわざは単体で使用できるため、「教訓」や「格言」の一種として用いられる一方、慣用句は状況を表す「比喩(ひゆ)」や、「面白い言い回し表現」として扱われるのが特徴です。
ことわざの場合、「可愛い子には旅をさせよ」だけで意味が通じますが、慣用句の場合、「首を長くする」では、言葉が足りないため、文の一部として使用する必要があります。
故事から作られた慣用句は故事成語に分類
ことわざと同様に、慣用句の中でも昔の出来事が由来となっているものは「故事成語」と言います。
つまり、『故事(昔の出来事)が由来となって作られた言葉は、全て故事成語』ということです。
これらのことを、分かりやすくまとめると、下記のようになります。
- 故事成語は、故事(主に中国)が由来のことわざや慣用句のこと
- ことわざは、教訓や皮肉などの意味を含み、単体でも使用できる言葉
- 慣用句は、構成する言葉とは別の意味を持ち、定型句の一種として文中に使用される言葉
故事成語一覧(小学生・中学生)50選
それでは最後に、小学生・中学生向けにいくつか有名な故事成語を紹介します。
由来となった話も分かりやすく記載したいと思いますので、使えるとかっこいい故事成語を覚えて、ぜひ日常で使いこなしてみてください。
小学生向け故事成語一覧【25選】
小学生向けの故事成語としては、よく耳にする故事成語を、意味と由来と共に紹介していきます。
- 温故知新(おんこちしん)
- 紅一点(こういってん)
- 完璧(かんぺき)
- 逆鱗に触れる(げきりんにふれる)
- 杞憂(きゆう)
- 蛍雪の功(けいせつのこう)
- 呉越同舟(ごえつどうしゅう)
- 五里霧中(ごりむちゅう)
- 五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
- 疑心暗鬼(ぎしんあんき)
- 漁夫の利(ぎょふのり)
- 切磋琢磨(せっさたくま)
- 千里眼(せんりがん)
- 助長(じょちょう)
- 大器晩成(たいきばんせい)
- 他山の石(たざんのいし)
- 蛇足(だそく)
- 断腸の思い(だんちょうのおもい)
- 竹馬の友(ちくばのとも)
- 朝三暮四(ちょうさんぼし)
- 虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)
- 白眼視(はくがんし)
- 覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)
- 登竜門(とうりゅうもん)
- 矛盾(むじゅん)
①温故知新
【故事成語】
温故知新
【読み方】
おんこちしん
【意味】
昔の事柄を調べてよく学び、そこから新しい知識や見解を得ることを言います。
【由来】
『論語(ろんご)』の「為政(いせい)」より
人の手本となる人物になるためには、「
「故き」には『昔・以前・歴史』といった意味、「温ねる」には『復習する・習う・よみがえらせる』といった意味があります。
昔習ったことをあらためて思い返してみたり、学びなおしてみると、新しい発見があるかもしれないね。
②紅一点
【故事成語】
紅一点
【読み方】
こういってん
【意味】
たくさんの同じようなものの中で、一つだけ際立(きわだ)って優(すぐ)れているもののことを言います。
現在では、多くの男性の中にただ一人いる女性という意味で用いられることが多いです。
【由来】
『詠柘榴詩(えいせきりゅうし)』より
11世紀「北宋(ほくそう)」王朝時代の政治家・文人(ぶんじん)・思想家であった「王 安石(おう あんせき)」が詠んだ一句、
《
「緑の中に一つだけある真っ赤なザクロの花が際立っていた」という状況に例えて、「ありふれた物の中に一つだけ異彩を放つものがある」という意味で「紅一点」と表現されるようになりました。
その後、紅色のザクロの花が「女性」に例えられるようになり、「男性の中にいる一人の女性」という意味で「紅一点」と使われるようになりましたが、本来は「一つだけ際立って優れている」という意味のある言葉のため、自分で自分のことを「紅一点」とは言わないほうが良いと言われることもあります。
③完璧
【故事成語】
完璧
【読み方】
かんぺき
【意味】
まったく欠点や不足がなく、立派なことを言います。
【由来】
『史記(しき)』の「廉頗(れんぱ)・藺相如列伝(りんしょうじょれつでん)」より
趙国(ちょうこく)の国王は、「和氏の璧(かしのへき)」と呼ばれる宝を持っていました。
それを知った秦国(しんこく)の国王は、ぜひ自分がその宝を手に入れたいと、自分の国の15の城(町)と交換してほしいと趙国の国王へ伝えます。
趙国の国王は、強国である秦国の申し出に渡すか渡さないか迷いましたが、知恵のある「藺 相如(りん しょうじょ)」を秦国に向かわせることにしました。
藺相如が「和氏の璧」を持って秦国の国王のところへ行ったところ、やはり秦国は15の城を本当は渡すつもりはないと分かった藺相如は、言葉巧みに宝玉を守り、秦国に宝を奪われることなく、無傷で趙国に「和氏の璧」を持ち帰ったとのことです。
この話が由来となり、「傷がない完全な状態で璧が趙に戻った」という意味で《
「璧」というのは、翡翠(ひすい)などの宝石で作られているドーナツ型をした装飾品のことだよ。
「壁(かべ)」と字が似ているから気をつけよう。
ちなみに、この話からは「怒髪天を衝く」という言葉も生まれていますので、下記の中学生向け故事成語⑱で紹介しています。
④逆鱗に触れる
【故事成語】
逆鱗に触れる
【読み方】
げきりんにふれる
【意味】
自分より目上(めうえ)の人を激怒(げきど)させることを言います。
【由来】
『韓非子(かんぴし)』の12篇「説難(ぜいなん)」より
ある例え話です。龍(りゅう)は手懐(てなず)ければ乗ることができるけれども、龍の喉(のど)の下には逆さまに生えた一枚の鱗(うろこ)があり、そこに触れてしまうと怒りをかって必ず殺されてしまうそうです。
そして、君主(くんしゅ)にも同じように逆鱗というものが存在するため、そこに触れずにうまく立ち回ることが大切なのです。と語った話が由来とされています。
※君主とは、国家や領地においてそこを統治する最高地位にある人のことです。
目下の人に対しては「逆鱗に触れる」とは言わないので注意しよう!
⑤杞憂
【故事成語】
杞憂
【読み方】
きゆう
【意味】
心配する必要のないことを、あれこれ心配することを言います。
【由来】
『列子(れっし)』の「天瑞(てんずい)」より
杞(き)の国に、天が落ちてこないか、地が崩れはしないかと心配して、食事がのどを通らず、夜も眠れないという男性がいました。
そこへ、そのことを心配した友人が男性のところへやってきて言いました。
「天は大気の積み重なりで、地上まで大気は続いているのだから天は落ちてはこないよ。」
すると、男性は「でも、太陽や月、星が落ちてくるかもしれない。」とまだ心配しています。
友人は、「太陽や月、星も天と同じ大気でできていて、ただ光り輝いているだけなんだよ。もし落ちてきたとしても怪我をすることはないんだ。」と言いました。
すると、また男性が「じゃあ大地が崩れたら?」と言います。
友人は、「大地は、土が重なってできたもので、土は四方に広がってどこもかしこもある。みんな一日中土の上を歩いたり踏みつけたりしている。大地が崩れることはないんだ。」と答えると、男性は大いに喜んで、友人も喜んだということです。
この話が由来となり、「杞人の憂(うれ)い」という意味で「杞憂」という言葉が生まれたと言われています。
※憂いとは、心配や嘆(なげ)きといった意味です。
ただあれこれ心配することは「杞憂」と言わないから注意してね。
「必要のないこと」がポイントだよ。
ちなみに『列子』の中では、最後に「天地が崩れる・崩れないというのは問題ではなく、そのようなことに心を乱されない無心の境地が大切だ」と締(し)めくくられています。
⑥蛍雪の功
【故事成語】
蛍雪の功
【読み方】
けいせつのこう
【意味】
苦労して勉学に励(はげ)むことを言います。
また、苦労した結果という意味もあります。
【由来】
『晋書(しんじょ)』の列伝第53「車胤伝(しゃいんでん)」より
晋(しん)の時代、「車胤(しゃいん)」と「孫康(そんこう)」という2人の青年がいました。
2人の家は貧(まず)しかったため、夜に明かりをともすための油が買えませんでした。
そこで、車胤は夏の夜には蛍(ほたる)を数十匹捕まえ、袋に入れて蛍の光で勉強し、孫康は冬の夜には窓辺に雪を積み上げて、雪に反射する月明かりで勉強していました。
そんな2人が努力を続けた結果、高い地位のある役職まで出世(しゅっせ)したということです。
この話が由来となり、苦労して勉学に励むことを「蛍雪の功」と言うようになったと言われています。
「蛍雪の功」の「功」とは、功績(こうせき)や手柄(てがら)といった意味があります。
現在では、貧困にかかわらず、苦労して勉学に励んだ時の言葉として使用されているよ。
⑦呉越同舟
【故事成語】
呉越同舟
【読み方】
ごえつどうしゅう
【意味】
仲の悪い者同士が一緒にいることを言います。
また、仲の悪い者同士が利害一致で協力しあったり、行動をともにするという意味もあります。
【由来】
『孫子(そんし)』第11篇「九地(きゅうち)」より
「呉(ご)の国と越(えつの国は仲が悪く、いつも戦争をしている。
しかし、そんな両国の人が同じ舟に乗って川を渡ることになり、暴風に吹かれて舟が沈(しず)みそうになったとすれば、呉の国の人も越の国の人も舟が沈まないようにお互いに協力し、左右の手のように助け合うだろう。」とあります。
この話が由来となり、仲が悪い者同士が協力することを「呉越同舟」と言うようになったと言われています。
「一時休戦だ」というシーンに使える言葉だね。
⑧五里霧中
【故事成語】
五里霧中
【読み方】
ごりむちゅう
【意味】
物事の様子がつかめず迷ってしまい、方針や見込みが立たたずに困ることを言います。
【由来】
『後漢書(ごかんしょ)』の「張楷伝(ちょうかいでん)」より
後漢の時代、「張楷(ちょうかい)」という儒学者(じゅがくしゃ)がいました。
張楷はとても優秀な人物であったため、評判を聞きつけた人たちから国の役人になってほしいとお願いされていましたが、張楷はそれを嫌がって一人山の中で暮らしていました。
彼は道術(仙術)が好きで、五里四方(ごりしほう)に霧(きり)を発生させることができたそうです。
そのため、人に会いたくない時には姿を隠すために、霧を発生させたと言われています。
霧の中では方角が分からなくなり、身動きがとれなくなってしまうことから、物事の事情が分からず迷ってしまうという意味で「五里霧(ごりむ)の中」=「五里霧中」と言うようになったと言われています。
五里霧中は、「五里夢中」と間違って書かれることが多いけど、由来を知ると間違う心配がないね!
ちなみに、中国では1里=0.5km(500m)のことだったから、5里は2.5kmになるよ。
四方は四方向、つまり半径2.5kmの円状の範囲ということだね。
⑨五十歩百歩
【故事成語】
五十歩百歩
【読み方】
ごじっぽひゃっぽ/こじゅっぽひゃっぽ
【意味】
どちらも同じようなもので、たいした違いがないことを言います。
【由来】
『孟子(もうし)』の「梁惠王(りょうのけいおう)・上」より
梁国(りょうこく)の国王が、孟子(もうし)に尋(たず)ねました。
「私は国民のために心を尽(つ)くして様々な政策を行っている。他の国と比べると私のように国民のために心を尽くした政治を行っている国はないように思う。それなのに、他の国の国民は減らず、私の国の国民は増えないのはどうしてか。」
すると、孟子は例え話で答えました。「戦場での話です。いざ戦いが始まった時、鎧(よろい)を捨てて、武器を引きずって逃げた者がいました。ある者は百歩逃げて立ち止まり、ある者は五十歩逃げて立ち止まりました。すると、五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病者(おくびょうもの)だと言って笑ったとします。どう思いますか?」
すると国王は言いました。「五十歩逃げた者は笑う立場にないな。ただ百歩ではないというだけで、逃げたのは変わらないのだから。」と。
孟子は、「つまり、この道理と同じことです。国王の政治と他国の政治は思っているよりも大差が無く、まだ似たようなものなのです。」と言って国王を諭(さと)したということです。
この話が由来となり、たいした差がないことを「五十歩百歩」と言うようになったと言われています。
⑩疑心暗鬼
【故事成語】
疑心暗鬼
【読み方】
ぎしんあんき
【意味】
心に疑(うたが)いを抱(いだ)いていると、何でもないことで疑問や不安が生まれたり、恐ろしくなったりすることを言います。
【由来】
『列氏(れっし)』の「説符」より
ある日のこと、男性が斧(おの)を失くしました。そして、その男性は隣の息子を疑い始めました。
隣の息子の歩き方や顔つき、言動や態度・・・やること全てが斧を盗んだように見えます。
しかし、ある日のこと、谷底で土を掘(ほ)っていると失くした斧が見つかりました。
それからというもの、隣の息子の言動や態度を見ても盗んだように見えなくなったということです。
この話が由来となり、心に疑いを持っていると、暗闇(くらやみ)の中にいるはずのない鬼(お化け)の姿が見えたりするものだとして「
「疑心暗鬼」は、「疑心、暗鬼を生ず」の略称だよ。
⑪漁夫の利
【故事成語】
漁夫の利
【読み方】
ぎょふのり
【意味】
当事者が争っている間に、第三者が何の苦もなく利益を得ることを言います。
【由来】
『戦国策(せんごくさく)』の「燕策(えんさく)」より
中国の戦国時代の話です。
趙国(ちょうこく)が燕国(えんこく)に攻撃をしかけようとした時、蘇代(そだい)という遊説家(ゆうぜいか)が趙国の国王に会いに行き、次のような話をしました。
※遊説家とは、国をまわり、自分の考えに基づく政策を提案していた人のことです。
「私が川を渡った時のことです。ハマグリが貝を開いて日向ぼっこをしていました。すると、そこへシギ(鳥)がやってきてハマグリを食べようとしたのですが、ハマグリが食べられまいと貝を閉じたため、シギのくちばしが貝に挟(はさ)まれてしまいました。
シギは『このまま明日も雨が降らなければ、干(ひ)からびてお前は死んでしまうだろう。』、ハマグリは『このままくちばしを出さずにいたら、飢(う)えてお前は死んでしまうだろう。』と両者譲(ゆず)らない争(あらそ)いをしていましたが、そこへ漁夫(漁師)が通りかかり、両方を難なく捕まえてしまいました。今、趙国と燕国が争えば、勢いのある秦国(しんこく)が漁夫になりかねません。」と進言したところ、趙国の国王は納得し、攻(せ)め入(い)ることをやめたということです。
この話が由来となり、第三者である漁夫が苦労することなく利益を得たということで「漁夫の利」という言葉が生まれたと言われています。
⑫切磋琢磨
【故事成語】
切磋琢磨
【読み方】
せっさたくま
【意味】
学問・技芸・道徳などを磨(みが)き上げることを言います。
また、仲間同士で励まし合ったり、競い合ったりして向上するという意味もあります。
【由来】
『詩経(しきょう)』の「衛風(えいふう)・淇奥(きいく)」より
毅然(きぜん)として知性のある君主(くんしゅ)がいます。
まるで宝飾品の材料となる骨や象牙(ぞうげ)を切り刻んで研(と)ぐように、石や玉(ぎょく)を打ち叩(たた)いて磨(みが)くようにして自分自身を研と)ぎ澄(す)ませているのです。
※玉とは、光沢のある美しい石のことです。
この話では、素晴らしい君主のことを
《
という言葉で表現していて、君主の自己研鑽(じごけんさん)を宝飾品を作り上げる工程に例えて称賛(しょうさん)しています。
※自己研鑽とは、自分自身を鍛(きた)えることで、知識や能力を高めることをいいます。
「切する」とは、「骨や象牙を切ること」
「磋する」とは、「骨や象牙を研ぐこと」
「琢する」とは、「石や玉を打ち叩くこと」
「磨する」とは、「石や玉を磨くこと」
を意味しており、それぞれの一文字ずつをとって「切磋琢磨」という言葉が生まれたと言われています。
なぜ、「仲間同士で」という意味で用いられるようになったのかですが、宝飾品は一人で作り上げるものではなく、様々な人が協力しながら作り上げるものであることから、皆で努力を尽くして向上するという意味へと発展したのではないかということです。
⑬千里眼
【故事成語】
千里眼
【読み方】
せんりがん
【意味】
遠くで起こった出来事や未来のことを見通せたり、人の心が見えたりする能力のことを言います。
【由来】
『魏書(ぎしょ)』の「楊逸伝(よういつでん)」より
楊逸(よういつ)という青年が、長官になって光州(こうしゅう)に赴任(ふにん)してきました。
彼はとても庶民思いで、正義感の強い青年であり、役人が横暴(おうぼう)に振る舞い、法を守らないことを好みませんでした。
以前は役人がやってくると、宴会(えんかい)や金銭を要求されていましたが、楊逸が赴任してからは、それがぱったりと無くなり、食料まで持参してやってくるようになりました。
村の人の中には、まごころで食事を振る舞う人もいましたが、決して役人たちは口にしようとしませんでした。
不思議に思った人が役人に理由を尋(たず)ねると、皆が同じように言いました。
「楊様は千里先のことであっても全て見通せる眼を持っているのです。決してごまかすことはできません。」と。
《
※ここでの千里とは、はるか遠くを意味しています。
この話が由来となり、遠くのことや直接目に見えないものなどを感知できる能力を持っていることを「千里眼」と言うようになったと言われています。
ちなみに、実際に楊逸が千里先まで見えていたのかというと、そうではなく、広い情報網(じょうほうもう)を張(は)って役人たちの行動を監視(かんし)して報告させていたことから、役人の行動を把握(はあく)できていたのだそうです。
⑭助長
【故事成語】
助長
【読み方】
じょちょう
【意味】
ある物事の成長・発展のために力添(ちからぞ)えをすること、
また、好ましくない傾向をいっそう強めることを言います。
現在は上記の意味で用いられることが多いですが、「不必要な力添えをしてかえって害する」という意味もあります。
【由来】
『孟子(もうし)』の「公孫丑(こんそんちゅう)・上」より
中国の戦国時代、宋(そう)の国に苗(なえ)がなかなか成長しないことを心配して、苗を引っ張る農夫がいました。
疲れ果てた農夫が家に帰ると、家族に言いました。
「今日は疲れたよ。苗の成長を助けるために伸ばしてやったんだよ」と。
驚いた農夫の息子が畑に走って行って見たところ、苗は全て枯れてしまっていたということです。
この話が由来となり、不必要なことをして、かえって状況が悪くなることを「
元々は状況をかえって悪化させるという悪い意味で用いられていましたが、現在は「力を貸して成長や発展を助ける」という良い意味でも用いるようになっています。
⑮大器晩成
【故事成語】
大器晩成
【読み方】
たいきばんせい
【意味】
本当に偉大(いだい)な人物は、普通より遅れて大成(たいせい)するものだという意味があります。
※大成とは、時間をかけて物事を完全に成し遂げたり、すぐれた人物になったりすることです。
【由来】
『老子(ろうし)』の「四一章」より
老子が「道(タオ)」について説明した言葉の中に、「大方(たいほう)は隅(ぐう)無く、大器(たいき)は晩成(ばんせい)し、大音(たいおん)は希声(きせい)、大象(たいしょう)は形無(かたちな)し《大方無隅、大器晩成、大音希聲、大象無形。》」とあります。
訳すると、「大きな四角は隅(すみ)がないようであり、大きな器は完成が遅く、あまりに大きな音は聞き取ることができず、大きな現象は形を認識することができない」となります。
少し理解が難しいと思いますが、この言葉の中の「大器は晩成し」という言葉が「大器晩成」の由来と言われています。
「大器」とは、鐘(かね)や鼎(かなえ)のような大きな器物(道具)のことで、立派な大器は簡単には完成せず、完成するのに時間がかかることから、偉大な人物を大器に例えて用いられるようになりました。
※鼎とは、古代中国で使用されていた3つ足のついた金属の鍋のことです。
「大器晩成」という言葉は、努力を続けているけど、まだ成功していない人への励ましの言葉や、後から頭角(とうかく)を現すタイプだという意味で使用されることが多いよ。
⑯他山の石
【故事成語】
他山の石
【読み方】
たざんのいし
【意味】
自分とは直接関係のない、他人の誤った言動や失敗なども自分を磨くための助けとなることを言います。
【由来】
『詩経(しきょう)』の「小雅(しょうが)・鶴鳴(かくめい)」より
「《他山の石、以(もっ)て玉(ぎょく)を攻(おさ)むべし》=(ほかの山から取ってきたつまらない石であったとしても、砥石(といし)として宝石を磨(みが)くことができる)」という言葉があります。
この言葉が由来となり、「他人の誤った言動や失敗であっても、それを元に良い行いをしていけば自分を向上させることができる」という意味で「他山の石」と言うようになったと言われています。
「他山の石」は、他人の悪いことからでも学べるという意味がある言葉だから、良いことから学ぶという意味で使用しないように気をつけよう!
⑰蛇足
【故事成語】
蛇足
【読み方】
だそく
【意味】
付け加える必要のない余計なこと、無くてもよい無駄なもののことを言います。
【由来】
『戦国策(せんごくさく)』の「斉策(せいさく)」より
楚国(そこく)が魏国(ぎこく)に戦(いくさ)で勝ち、その余った勢いで斉国(せいこく)にも攻め込もうとしていた時のこと。
そこへ、斉国から縦横家(じゅうおうか)の陳軫(ちんしん)がやってきて、楚国の将軍である昭陽(しょうよう)にこんな話をしました。
「ある祭司(さいし)がお祭りを行って大杯(おおさかずき)で召(めし)使い達にお酒をふるまったところ、大勢で飲むんじゃ少ないからと、もらったお酒を賭(か)けて、誰が一番最初に蛇(へび)の絵を書き終えるのかを勝負した者たちがいました。
そして、一番最初に蛇の絵を書き終えた者がお酒を飲もうとしましたが、まだ皆が絵を描いているのを見ると余裕を見せ、左手に杯を持ったまま、『俺は足を書く時間もあるぞ』と右手で蛇に足を付けたしていきました。
すると、二番目に終わった者が『蛇には足は無い。その足のついたものは蛇ではない。』と言って杯を奪い取ってお酒を飲んでしまったため、一番最初に描いた者はお酒を飲むことができませんでした。」
あなた様は、すでに最高位の地位にあり、斉国を攻めて勝ったとしてもそれ以上の出世はありません。もし、余裕があるからと余分な戦いをして負けたとすれば今の地位が失われることになりますよ。と進言したところ、昭陽は兵を引き上げさせたということです。
この話が由来となり、付け加える必要のないことを「蛇足」と言うようになったと言われています。
⑱断腸の思い
【故事成語】
断腸の思い
【読み方】
だんちょうのおもい
【意味】
非常に悲しい気持ちや、苦しい気持ちのことを言います。
【由来】
『世説新語(せせつしんご)』の「黜免(ちゅつめん)」より
東晋(とうしん)の武将、桓温(かんおん)が蜀(しょく)を攻めるため舟に乗って川を渡っていた時のこと、山峡(さんきょう)と呼ばれる渓谷(けいこく)にさしかかった時、彼の部下である兵士が猿(さる)の子供を捕まえてきました。
すると、母猿が悲しい声で鳴きながら岸(きし)に沿(そ)ってずっとついてきて、百里(50km)ほど進んだところで舟が岸に近づくと、母猿が舟に飛び乗ってきましたが、そのまま息絶えてしまいました。
なぜ死んでしまったのかと母猿のお腹を開いてみたところ、悲しみのあまり腸(ちょう)がズタズタに断(た)ち切れてしまっていたことが分かりました。
桓温はこの話を聞くと、怒って子猿を捕まえた部下を降格(こうかく)させたということです。
この話が由来となり、腸が断ち切れるほど苦しい悲しみという意味で「断腸の思い」という言葉が生まれたと言われています。
ちょっと悲しいくらいには使えない重い言葉だよ。
⑲竹馬の友
【故事成語】
竹馬の友
【読み方】
ちくばのとも
【意味】
子供の頃から親しい友人のことを言います。
【由来】
『晋書(しんじょ)』の列伝第47「殷浩伝(いんこうでん)」より
東晋(とうしん)の武将、桓温(かんおん)は、自尊心が高く、幼なじみで学者肌であった殷浩(いんこう)を下に見ていたため、自分と殷浩が同じように褒(ほ)め称(たた)えられることに不満をもっていました。
そして、殷浩が北方征伐(ほっぽうせいばつ)に失敗した時、桓温がそのことをひどく非難したため、殷浩は官職を剥奪(はくだつ)されることとなり、庶民へと失脚(しっきゃく)することになってしまいました。
その後、桓温は、「幼い頃、私と殷浩はよく竹馬(ちくば)に乗って遊んでいたが、殷浩は私が捨てた竹馬を拾って遊んでいたよ。だから私の下に立つのは当然のことだろう」と語ったということです。
この話が由来となり、子供の頃一緒に竹馬に乗って遊んだ友人という意味で「竹馬の友」という言葉が生まれたと言われています。
元々は、良いライバル関係や上下関係を表す言葉として用いられたいたようですが、次第にそのような意味合いは薄れていったようです。
「彼・彼女だけには負けたくない」と思う幼なじみのことを表すのにちょうど良い言葉かもしれないね!
⑳朝三暮四
【故事成語】
朝三暮四
【読み方】
ちょうさんぼし
【意味】
目先の違いにとらわれてしまい、結局は同じ結果なことに気が付かないことを言います。
また、言葉巧(たく)みに人を騙(だま)すことを言います。
【由来】
『列子(れっし)』の「黄帝(こうてい)」/『荘子(そうし)』の「斉物論(せいぶつろん)」より
宋国(そうこく)に狙公(そこう)という猿が好きな老人がいました。
狙公はたくさんの猿を養(やしな)っていて、猿の心を理解しており、猿も老人と心を通(かよ)わせていました。
狙公は家族の食事を減らしてまで猿の食欲を満たすほどでしたが、急に家計が苦しくなってしまったため、猿の餌(えさ)であるどんぐりを減らすことにしました。
狙公は猿たちが自分に懐(なつ)かなくなってしまうのではと心配して、まずは猿達にこう言いました。
「これからはお前たちにどんぐりを与えるのを朝は3つ、暮(く)れは4つにするが、足りるか」と。
すると、猿たちは皆立ち上がって怒りだしたので、狙公はすぐさま言い方をかえて「それでは、どんぐりを朝は4つ、暮れは3つにするが、足りるか」と言ったところ、猿たちは頭を下げて喜んだということです。
この話が由来となり、「朝三暮四」という言葉が生まれたと言われています。
朝のどんぐりが3つから4つに増えたから、どんぐりを増やしてもらえたと喜んでしまったんだね。
㉑虎の威を借る狐
【故事成語】
虎の威を借る狐
【読み方】
とらのいをかるきつね
【意味】
力のない者が、力のある者の力を利用して威張(いば)ることを言います。
【由来】
『戦国策(せんごくさく)』の「楚策(そさく)」より
虎(とら)が狐(きつね)を捕まえて食べようとした時、狐が言いました。
「私は神様から全ての獣(けもの)の長(おさ)になるように命じられました。私を食べたのならば、神様から罰(ばつ)があるでしょう。嘘(うそ)だと思うのならば、私についてきなさい。」
そこで虎が狐の後をついていったところ、出会う動物たちは皆逃げていきました。
虎は、動物たちが自分を恐れて逃げていたことに気付かず、狐を見て逃げ出したと思い込み、狐の話を信じたということです。
狐が虎の力を利用して、あたかも自分に力があるように見せたこの話が由来となり、「虎の威を借る狐」という言葉が生まれたと言われています。
㉒白眼視
【故事成語】
白眼視
【読み方】
はくがんし
【意味】
冷たい目で見ることや、軽蔑(けいべつ)した目つきで見ることを言います。
【由来】
『晋書(しんじょ)』の列伝第19「阮籍伝(げんせきでん)」より
魏(ぎ)の国に阮籍(げんせき)という思想家がいました。彼は「白眼(はくがん)=白い目」と「青眼(せいがん)=黒い目」を使い分けることができました。
そして、形式として礼法を行っているような自分が気に入らない者に対しては白眼を使っていたそうです。
阮籍が喪(も)に服(ふく)していた時のこと、嵆喜(けいき)という人物が礼法に則(のっと)って弔問(ちょうもん)に伺(うかが)ったところ、阮籍が白眼で対応していたので、嵆喜は不機嫌になって帰ってきました。
※弔問とは、亡くなった人の遺族(いぞく)の元に訪問してお悔(く)やみの言葉を伝えに行くことです。
それを聞いた弟の嵆康(けいこう)は、お酒と琴(こと)を持って弔問に行ったところ、阮籍はとても喜んで青眼で対応したということです。
この話が由来となり、冷たい目でみることを「白眼視」と言うようになったと言われています。
白い目というのは、下からにらみつけるような見方のことで、白目が多くなるような目つきのことを言うよ。
また、「白眼視」は、一般的には「白い目で見る」と言われることが多いよ。
㉓覆水盆に返らず
【故事成語】
覆水盆に返らず
【読み方】
ふくすいぼんにかえらず
【意味】
一度してしまったことは、取り返しがつかないことを言います。
また、一度離婚してしまった夫婦の仲は、元には戻らないという意味もあります。
【由来】
『野客叢書(やかくそうしょ)』の「二八」・『拾遺記(しゅういき)』など
周(しゅう)の国に呂尚(りょうしょう)という男とその妻がいました。
呂尚は仕事もせず、本を読んでばかりいたため、妻は愛想をつかして離婚することにしました。
その後、呂尚は周の国王の目にとまり、国王の下で働くことになりました。
やがて呂尚は「太公望(たいこうぼう)」と呼ばれるようになり、大出世したため、昔妻であった女がやってきて復縁(ふくえん)を求めました。
すると、呂尚は水を入れた盆(容器)を持ってきて、その水を地面にこぼすと「その水をこの盆(ぼん)に戻してみせなさい」と言いました。
女は地面にこぼれた水を戻そうとしましたが、戻すことができませんでした。
呂尚は「一度こぼれた水は盆の上に戻ることはないのだよ。」と言って復縁を断ったということです。
この話が由来となり、地面にこぼれてしまった水が盆に戻らないように、一度起きてしまったことは二度と元には戻らないとして「覆水盆に返らず」と言うようになったと言われています。
※「覆」という字には「ひっくりかえる」という意味があります。
㉔登竜門
【故事成語】
登竜門(登龍門)
【読み方】
とうりゅうもん
【意味】
そこを突破すれば出世につながる関門(かんもん)のことを言いいます。
※関門とは、通過するのが難しい所のことです。
【由来】
『後漢書(ごかんしょ)』の「李膺伝(りようでん)」より
後漢に李膺(りよう)という立派な官僚(かんりょう)がいました。
※官僚とは国の政策に関わる国家公務員のことです。
彼に認められた者は、出世が約束されたようなものだとして、「龍門を登る《登龍門》」と言いました。
なぜかというと・・・
「三秦記(さんしんき)」という書物によると、黄河の上流には、「龍門」とよばれる急流があり、その下ではたくさんの魚が集まって登ろうとするのですが、そのほとんどが龍門を登ることができないそうです。
しかし、龍門を登ることができれば龍になると伝えられています。
この話より、龍門を突破すれば龍になることができたことから、出世につながる関門を突破することを「登竜門(登龍門)」と言うようになったと言われています。
昔は、出世の糸口となる関門を突破することを「登竜門」と言っていたんだけど、今は関門自体を「登竜門」と言うよ。
ちなみに、「龍」は「竜」の旧字体だから一般的には「竜」の漢字が用いられているよ。
㉕矛盾
【故事成語】
矛盾
【読み方】
むじゅん
【意味】
辻褄(つじつま)が合わないことを言います。
【由来】
『韓非子(かんぴし)』の「難一篇(なんいつへん)」より
楚(そ)の国に、盾(たて)と矛(ほこ)を売っている商人がいました。
※矛とは、剣のような武器のことです。
その人は、「私の盾はとても頑丈(がんじょう)で、この盾を貫くことのできる武器はない。」と言い、「私の矛はとても鋭(するど)くて、どんなものでも突き通すことができる。」と言っていました。
すると、ある人が言いました。
「それじゃあ、あなたの矛であなたの盾をついたらどうなりますか?」と。
その商人は何も答えることができなくなったということです。
この話が由来となり、辻褄が合わないことを「矛盾」と言うようになったと言われています。
「矛(ほこ)」は音読みで読むと「む」、「盾(たて)」を音読みで読むと「じゅん」と読むことから、「むじゅん」と言うよ。
中学生向け故事成語一覧【25選】
中学生向けの故事成語としては、受験対策などで知っておくと良い故事成語を、意味と由来と共に紹介していきます。
- 圧巻(あっかん)
- 羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)
- 石に漱ぎ流れに枕す(いしにくちすすぎながれにまくらす)
- 烏合の衆(うごうのしゅう)
- 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
- 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
- 画竜点睛(がりょうてんせい)
- 邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
- 玉石混交(ぎょくせきこんこう)
- 巻土重来(けんどちょうらい)
- 三顧の礼(さんこのれい)
- 四面楚歌(しめんそか)
- 出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)
- 推敲(すいこう)
- 杜撰(ずさん)
- 水魚の交わり(すいぎょのまじわり)
- 太公望(たいこうぼう)
- 怒髪天を衝く(どはつてんをつく)
- 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)
- 背水の陣(はいすいのじん)
- 舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)
- 顰に倣う(ひそみにならう)
- 羊頭狗肉(ようとうくにく)
- 李下に冠を正さず(りかにかんむりをたださず)
- 災い転じて福となす(わざわいてんじてふくとなす)
①圧巻
【故事成語】
圧巻
【読み方】
あっかん
【意味】
書物や演劇など、全体の中で一番すぐれている部分のことを言います。
【由来】
『文章弁体序説(ぶんしょうべんたいじょせつ)』より
古代中国で役人になるためには、「科挙(かきょ)」と呼ばれる高級官僚登用試験を受けなくてはいけませんでした。
そして、その科挙の審査員が最も優(すぐ)れた答案用紙を一番上に置いたということです。
圧巻の「巻」は『答案用紙』のことで、他の答案用紙を圧するように最も優れた答案用紙を一番上に置いたことから、書物などで一番優れた部分のことを「圧巻」と言うようになったと言われています。
圧巻は、「どこの部分」が重要だから使い方に注意しよう。
「あの映画は圧巻だったね」という使い方は間違いだよ。「あの映画の最後のどんでん返しは圧巻だったね」だと正しい使い方になるよ。
②羹に懲りて膾を吹く
【故事成語】
羹に懲りて膾を吹く
【読み方】
あつものにこりてなますをふく
【意味】
以前の失敗に懲(こ)りて、必要以上に警戒心を持つことを言います。
【由来】
『楚辞(そじ)』の9章「惜誦(せきしょう)」より
屈原(くつげん)という詩人が書いた詩に、「熱い汁物を食べてやけどした人が、そのことに懲りて冷たい食べ物にまで息を吹きかけることがあるのに、なぜ私は志を変えることができないのだろうか。《懲於羹而吹膾兮 何不變此志也》」とあります。
この詩が由来となり、必要以上に用心するという意味で「羹に懲りて膾を吹く」と言うようになったと言われています。
「羹(あつもの)」とは、肉や野菜を煮込んだ熱い汁物のこと、「膾(なます)」とは、この当時では生肉を使った和え物のこと、現在では酢で味付けした(冷たい)和え物のことです。
羹(あつもの)を「熱い物(あついもの)」と言わないように注意しよう。
③石に漱ぎ流れに枕す
【故事成語】
石に漱ぎ流れに枕す
【読み方】
いしにくちすすぎながれにまくらす
「漱ぎ」で、「くちすすぎ」と読むよ。
【意味】
負け惜しみが強いことを言います。
また、強情(ごうじょう)を張り、無理に言い訳をして言い逃(のが)れるという意味もあります。
【由来】
『晋書(しんじょ)』の列伝第26「孫楚伝(そんそでん)」より
晋(しん)の国に孫楚(そんそ)という人がいました。彼は若い頃、いずれ一般社会から離れて自然の中で悠々(ゆうゆう)と暮らしたいと思っていました。
そのことを友人の王済(おうさい)に話していたところ、「石を枕にして、川の流れで口をすすぐ」と言うべきところを、誤って「石で口をすすいで、川の流れを枕にする。(石に漱ぎ流れに枕す)《漱石枕流》」と言ってしまいました。
これを聞いた王済は、「川の流れを枕にすることはできないし、石で口をすすぐこともできないと思うぞ。」と言ったところ、
孫楚は、「川の流れを枕にしたいというのは、社会で汚れてしまった耳を洗いたいという意味で、石で口をすすぐというのは、社会の物を食べて汚れてしまった歯を石で磨きたいという意味で言ったんだよ。」と答えたということです。
この話が由来となり、素直に間違いや負けを認めず、強情を張ることを「石に漱ぎ流れに枕す」と言うようになったと言われています。
④烏合の衆
【故事成語】
烏合の衆
【読み方】
うごうのしゅう
【意味】
規律や統制もない、ただ数ばかり多い集団のことを言います。
※規律とは、望ましい状態を維持するための決まりのこと、統制とは、多くのものを一つにまとめて収めるという意味です。
【由来】
『後漢書(ごかんじょ)』の列伝巻19「耿弇伝(こうえんでん)」より
占い師であった王郎(おうろう)が、実は自分こそが皇帝の子孫「子輿(しよ)」であると宣言して作った軍隊に対し、後漢の武将であった耿弇(こうえん)が言った言葉があります。
「烏(う)の集まりのような子輿の軍隊《烏合之衆》など、枯れ木を砕(くだ)き、腐った木を折るように簡単に倒すことができる」と。
※烏(う)とは「カラス」のことです。
カラスが集まり、散って行く時にバラバラで統制がないように、子輿の軍隊は統制のないただの寄せ集めの集団であるという意味で、「カラスが集まっただけのような集団」と例えられたことが「烏合の衆」の由来と言われています。
⑤燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
【故事成語】
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
【読み方】
えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや
【意味】
小人物(しょうじんぶつ)には、大人物(だいじんぶつ)の考えや志(こころざし)を理解することができないという意味があります。
※小人物とは、心が狭(せま)く思慮(しりょ)の浅い人のこと、大人物とは、心が広く品性に優(すぐ)れた偉大(いだい)な人のことです。
【由来】
『史記(しき)』の「陳渉世家(ちんしょうせいか)」より
秦(しん)が国を治める時代、陳渉(ちんしょう)という人がいました。彼が若い頃は、仲間と一緒に雇(やと)われて田畑で農作物を作って暮らしていました。
ある日のこと、陳渉が耕作の手を休めて小高い丘の上へ行き、嘆(なげ)いたかと思うとしばらくすると言いました。
「もし、偉くなったとしても互いに忘れないようにしよう。」と。
すると、仲間の者が「お前は雇われて農作物を作っている身の上なんだよ。どうして偉くなれると思うんだい?」と笑って言いました。
仲間の言葉を聞いた陳渉は、「あぁ、小さい鳥には大きな鳥の気持ちが分かるだろうか、いや分からないよなぁ・・・(燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや)《燕雀安知鴻鵠之志哉》」とため息をついたということです。
燕雀(えんじゃく)とは、燕(ツバメ)や雀(スズメ)といった小さな鳥のこと、鴻鵠(こうこく)とは、鴻(オオトリ)や鵠(クグイ・ハクチョウ)といった大きな鳥のことです。
その後、陳渉は出世して楚(そ)の国の君主になったということもあり、志が高い人(鴻鵠)の考えはそうでない人(燕雀)には分からないという意味で「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」と言うようになったと言われています。
⑥臥薪嘗胆
【故事成語】
臥薪嘗胆
【読み方】
がしんしょうたん
【意味】
復讐(ふくしゅう)や目的を達成するために苦労を重ねることを言います。
【由来】
『一八史略(じゅうはっしりゃく)』より
呉(ご)の国と越(えつ)の国の戦いで、呉国は敗れ、呉国の王であった闔慮(こうりょ)はその時に負(お)った怪我(けが)が原因で亡くなってしまいました。
闔慮の息子の夫差(ふさ)は、父の復讐を果たすため、朝・夕と薪(たきぎ)の上で寝て、その体の痛みで越国への復讐心を忘れないようにし、人が部屋を出入りするたびに「夫差、お前は越人が父を殺したのを忘れたか。」と言わせていました。
その後、夫差は父の仇(あだ)である越国の王の勾践(こうせん)を会稽山(かいけいざん)に追い詰めることに成功し、戦いに勝利します。
一方、勾践は恥をしのんで、夫差の家来(けらい)になることで生きのびていました。
勾践は国に戻ると、会稽山での恥を忘れないようにと、獣(けもの)の胆(きも)を部屋に吊(つ)るして、座ったり寝たりするたびに胆を嘗(な)め、また食事の時にも苦い胆を嘗めては「お前は会稽山の恥を忘れたか。」と自分に言い聞かせていました。
その数十年後、勾践は夫差を倒して屈辱を晴らしたということです。
この話が由来となり、復讐を誓って苦労をかさねることを「臥薪嘗胆」と言うようになったと言われています。
臥薪嘗胆を直訳すると、「薪に臥(ふ)して胆を嘗める=薪に寝て胆をなめる」という意味があります。
ちなみに、勾践が会稽山の恥を晴らしたことを由来にした故事成語もあり、ひどい屈辱をきれいさっぱり晴らすことを、「会稽の恥を雪ぐ(かいけいのはじをすすぐ)」と言うので、一緒に覚えておくと良いですね。
⑦画竜点睛
【故事成語】
画竜点睛
【読み方】
がりょうてんせい
【意味】
物事を完成させる時の最後の大事な仕上げのことを言います。
また、物事の最も大切な部分という意味もあります。
【由来】
『歴代名画記(れきだいめいがき)』より
梁(りょう)という国に張僧繇(ちょうそうよう)という画家がいました。
彼は、皇帝からの依頼を受け、都の金陵(きんりょう)の安楽寺の壁に4頭の竜の絵を画(えが)きましたが、どの竜も目は白いままでした。
絵を見た人が理由を尋ねると、僧繇は「この竜に目を画いたならば、瞬く間に飛んでいってしまうだろう」 と常に言っていました。
皆は僧繇がでたらめを言っていると思って彼の言葉を信用せず、竜の瞳(ひとみ)を画いてほしいと強く求めます。
仕方なく僧繇が2頭の竜に目を画くと、たちまち外で雷雲(らいうん)が立ち込め始め、雷鳴(らいめい)が轟(とどろ)き、雷で壁(かべ)が壊されたかと思うと、2頭の竜は天に舞い上がり飛び去ってしまいました。
瞳を描かなかった残りの2頭の竜は、今も安楽寺に残っているということです。
この話が由来となり、「 竜 を 画 いて 睛 を 点 ず(竜の画に瞳(ひとみ)を入れて仕上げる)」=完成させるための最後の大事な仕上げという意味で「画竜点睛」と言うようになったと言われています。
竜を「りゅう」と読まないように注意しよう!
そういえば、坂本龍(竜)馬「さかもとりょうま」も、「りゅう」じゃなくて「りょう」と読むね!
ちなみに、最も大切な部分という意味で「点睛」とだけ用いられることもあります。
⑧邯鄲の夢
【故事成語】
邯鄲の夢
【読み方】
かんたんのゆめ
【意味】
人の人生は、ほんのひとときの夢のようにはかないことを言います。
【由来】
『枕中記(ちんちゅうき)』より
盧生(ろせい)という貧(まず)しい若者が故郷を離れ、趙(ちょう)の都である邯鄲(かんたん)を訪れていた時のこと、盧生は宿屋で呂翁(りょおう)という道士(仙人)と出会いました。
盧生は呂翁に自分の身の上を話しはじめ、未だに立身出世しない人生を嘆(なげ)き、そのことを話し終わると、突然眠くなってきました。
この時、ちょうど宿の主人が粟(あわ)のご飯を炊いているところでした。
すると呂翁が「私の枕を使って眠りなさい。思う存分夢を叶えるが良いよ。」と言うので、盧生は枕を借りて眠ることにしました。
呂翁の枕は青磁(せいじ)で作られており、両端に穴が空いていました。
盧生が頭を乗せるとその穴がだんだん大きくなり、明るくなってきたため、体を起こしてその穴に入ると、そこには自分の家がありました。
それから盧生はきれいなお嫁さんをもらい、みるみると出世を果たして順風満帆な人生を歩んでいましたが、それを羨(うらや)む宰相(さいしょう)から根拠のない噂(うわさ)をたてられたことが原因で、左遷(させん)されることになりました。
その3年後、再び補佐官として呼び戻されたかと思うと、数年のうちに宰相となって政治に関わるようになり、心から皇帝に仕えたので、賢宰相と呼ばれるまでになりました。
しかし、またしてもそれを妬(ねた)む者がいて、盧生が反乱を企(くわだ)てているとの虚偽(きょぎ)の報告により投獄されそうになったため、盧生は名声を求めたことを後悔(こうかい)し、自殺しようと決意しましたが、妻が止めに入ったために死ぬことはできませんでした。
この時一緒に罪を問われた者は皆死罪となってしまいましたが、盧生だけは親交のあった宦官(かんがん)がかばってくれたおかげで、死罪は免(まぬが)れることができましたが、流罪(るざい)となり、遠くの地に追放されることになりました。
数年後、冤罪(えんざい)であったことを知った皇帝は、盧生を再び呼び戻して中書令(ちゅうしょれい)として復帰させると、燕国公の爵位を与えて大切にあつかいました。
盧生には5人の子供がおり、皆有能で、高い地位の職につきました。そして、その子供達のお嫁さんは皆豪族の娘であり、孫も10人ほどできました。
盧生はこれまで2回も冤罪を受けましたが、2度宰相となり、様々な場所で官職を経験して、朝廷を巡り回る生活が30年以上続き、輝かしい名声を得ました。
盧生はとても贅沢で遊びを好み、屋敷に入れていた女性は皆一流の美人ばかりで、皇帝から与えられた田畑、邸宅、美女、名馬は数え切れないほどでした。
その後、盧生は衰え始めたことを実感して、何度も辞職を願い出ましたが、皇帝はそれを受け入れませんでした。
そして、盧生が病気になると、お見舞いに来る宦官があとを絶たず、名医や高価な薬も来ないものはありませんでした。
盧生が80歳を超えた頃、ついに病に勝てず皆に惜しまれながら息を引き取りました。
・・・・・・・・・・
盧生はあくびをして伸びをすると目を覚ましました。 見ると自分は宿屋で横になっており、自分の横には呂翁が座っていました。
そして、宿屋の主人が作っていた粟のご飯はまだ出来上がっていませんでした。
盧生は飛び起きると言いました。「全部夢だったのか・・・。」
すると 、呂翁は笑って答えました。「人生の楽しみとはこういうものよ。」
盧生はしばらくぼんやりとしていましたが、やがて呂翁にお礼を言いました。「名誉と恥辱(ちじょく)、困窮(こんきゅう)と繁栄(はんえい)、成功と失敗、死と生、全て分かりました。先生はこうすることによって私の欲を抑えようとご教示してくださったのですね。ご訓誡(くんかい)に感謝いたします。」
そうして盧生は頭を下げ、2回礼拝をすると宿屋を後にしたということです。
盧生が夢で過ごした一生が、実はご飯が炊きあがりもしない短い時間の出来事であったことから、人生は長いようで、実際は短くはかないものであるという意味で「邯鄲の夢」という言葉が生まれたと言われています。
盧生が邯鄲を訪れた時に見た夢だから「邯鄲の夢」と言うんだね。
ちなみに、「邯鄲の夢」は、「邯鄲の枕(かんたんのまくら)」や「一炊の夢(いっすいのゆめ)」、「黄粱の夢(こうりょうのゆめ)」と言われることもあります。
※黄粱とは、中国語で粟という意味です。
⑨玉石混交
【故事成語】
玉石混交
【読み方】
ぎょくせきこんこう
【意味】
良いものと悪いものや優(すぐ)れたものと劣(おと)ったものが入り混じった状態のことを言います。
【由来】
『抱朴子(ほうぼくし)』の外篇「尚博」より
「為になる言葉を愚(おろ)かで劣(おと)っているものだと扱い、軽々しい嘘や作り事ばかりの弁舌(べんぜつ)を美しく優れたものであるとする、本物と偽物が逆になってしまい、宝石と石が入り混じってしまっている。《玉石混淆》」
この言葉が由来となり、価値のあるもの(玉)とそうでないもの(石)が入り混じっている状態を「玉石混交」と言うようになったと言われています。
⑩捲土重来
【故事成語】
捲土重来
(巻土重来)
【読み方】
けんどちょうらい
けんどじゅうらい
【意味】
一度負けた人が、再び勢いをつけて盛り返してくることを言います。
また、一度失敗した人が再び挑戦するという意味もあります。
【由来】
杜牧(とぼく)の『
杜牧という詩人が、秦(しん)末期の武将であった項羽(こうう)が戦いに敗れて自害したことを悼(いた)んで書いた詩があります。
「戦の勝敗は兵法家(へいほうか)であったとしても予測はつかない。たとえ敗れてしまったとしても恥じらう気持ちを包み隠して耐え忍ぶ、これぞ男というものだ。項羽の出身である江東(こうとう)の若者には優秀なものが多い。もし、土煙(つちけむり)をあげる勢いで再び戦いに挑んでいたら結果は違ったかもしれない。《 捲土重来、未だ知るべからず》」
「捲土(けんど)」とは、土煙が巻き上がるという意味で、勢いの良さを表しており、「重来」とは、再びやってくるという意味があります。
この詩が由来となり、一度失敗した人が再び勢いをつけて巻き返してくることを「巻土重来」と言うようになったと言われています。
⑪三顧の礼
【故事成語】
三顧の礼
【読み方】
さんこのれい
【意味】
地位の高い人が目下の人に対して礼儀を尽くし、物事を頼むことを言います。
また、礼儀を尽くして才能のある人物を迎え入れるという意味もあります。
【由来】
諸葛亮(しょかつりょう)の『前出師表(ぜんすいしのひょう)』より
先帝は、私を卑(いや)しい身分として扱わず、秩序(ちつじょ)を無視して自らの立場を曲げてまで来訪(らいほう)を重ねられ、私に会うために3度も粗末な家へ訪れてくださり、私に今の世の中のことを相談なされました。
このことに私は大変感激し、ついには先帝にお仕えして奔走(ほんそう)することを許されたのです。
《先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激,遂許先帝以驅馳。》
先帝とは、蜀漢(しょくかん)の初代皇帝であった劉備(りゅうび)のことです。
まだ劉備が一人の武将であった頃、劉備の元を頻繁に出入りし、信頼を得ていた徐庶(じょしょ)という人物が、諸葛亮を「臥竜(がりょう)=世に知られていない大物」だと言って軍師として迎え入れるべきだと推薦します。
徐庶が推薦する人物ならばと「諸葛亮を自分のところに連れてきてほしい」とお願いしたところ、徐庶から「諸葛亮にはこちらから訪ねて行けば会えますが、呼んで連れてこられるような人物ではありません。劉備様ご自身で訪問されるのが良いでしょう。」 と答えます。
そして、劉備が諸葛亮に会いに彼の家へ行ったところ、一度目も二度目も外出していて会うことができず、三度目に訪れた際にやっと会うことができたとされています。
この時、劉備は40代、諸葛亮は20代であり、本来ならば立場も上である劉備が会いに行くことはなく、使いを送って呼び寄せるのが普通とされていました。
部下の中には、もう十分礼儀は示せたのだから呼び寄せればよいのではと進言する者もいたようです。
しかし、劉備は自分の身分や立場にかかわらず、礼儀を尽くして三度目も自ら会いに行った結果、諸葛亮を軍師として迎え入れることができ、蜀漢の建国に至ったということです。
この話が由来となり、 「三顧の礼」という言葉が生まれたと言われています。
※「三顧」とは、三回訪ねることを意味しています。
自分より年下・格下の相手であっても礼儀を忘れないということは大切なことだよね。
⑫四面楚歌
【故事成語】
四面楚歌
【読み方】
しめんそか
【意味】
周りが敵ばかりで孤立し、助けや味方がいないことを言います。
【由来】
『史記(しき)』の「項羽本紀(こううほんぎ)」より
楚(そ)の項羽(こうう)率(ひき)いる軍が、漢(かん)の軍におされて垓下(がいか)の城を砦(とりで)にして立てこもりました。
兵士の数は少なく、食料も無くなってしまいました。
漢の軍とその味方についた兵達が砦を幾重にも包囲していました。
夜になると、漢の軍勢が砦の周りで楚国の歌を歌っているのを項羽が聞いて、驚いて言いました。《夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰》
「漢はすでに楚を手に入れたということか。なんと楚国の者が多いことだろう。」
項羽は、漢軍の中から聞こえるはずのない自国の歌が聞こえたことで、たくさんの楚国の民が漢軍に降伏したのだと思い、自分達は完全に孤立状態にあることを悟ったわけです。
この話が由来となり、周りは敵ばかりで孤立した状態を「四面楚歌」と言うようになったと言われています。
四面とは「周囲」のこと、楚歌とは「楚国の歌」のことです。
⑬出藍の誉れ
【故事成語】
出藍の誉れ
【読み方】
しゅつらんのほまれ
【意味】
弟子(でし)が師匠(ししょう)よりも優(すぐ)れていることを言います。
【由来】
『荀子(じゅんし)』の篇第一「勧学(かんがく)」より
君子は言いました、「学問は途中でやめてはならない。染料の青は藍草(あいぐさ)から取ってできるものであるが、藍草より青く《青は、之を藍より取りて、藍より青く》、氷は水からできるものであるが、氷よりも冷たい。・・・
君子は幅広く学んで日に何度も自らを振り返って反省すれば、物事を見極める知識が明らかになり、行動の間違いも無くなる。」
この言葉が由来となり、弟子が師匠よりも優れていることの例えとして「青は藍より出(い)でて藍より青し」と言われるようになり、「出藍の誉れ」とも言われるようになったと言われています。
※誉れとは、人が褒(ほ)め称(たた)えるほどの評価・名誉という意味です。
努力を続けていれば師匠よりも優れた人物になることもできるということだよ。
⑭推敲
【故事成語】
推敲
【読み方】
すいこう
【意味】
詩や文章の表現などを見直し、何度も練(ね)り直すことを言います。
【由来】
『唐詩紀事(とうしきじ)』より
科挙(かきょ)の試験を受けに都へやって来た賈島(かとう)という詩人がいました。
彼はロバに乗っている時に詩を作っていると、「僧は推(お)す月下(げっか)の門」という句を思いつきました。
しかし、「推す」から「敲(たた)く」に変えたほうが良いかなと思いました。
そこで、手を動かして推す動作をしてみたり、敲く動作をしてみたりしましたが、まだ決めきれずにいました。
すると、思いがけず、都の長官である韓愈(かんゆ)が率いる列に突っ込んでしまいました。
賈島がことの経緯を詳しく説明したところ、韓愈はこう言いました。
「敲くのほうが良いな。」
そのまま2人は乗り物を並んで進ませながら、しばらく詩について論じあったということです。
この話の中で、「推す」と「敲く」のどちらが良いが何度も考えていたことから、何度も練り直すことを「推敲」と言うようになったと言われています。
推すとは「押す」こと、敲くとは「叩(たた)く」ことです。
ちなみに、韓愈が「敲く」のほうが良いと言った理由としては、
・「月下に響く音が想像できて風情があって良いから」
・「敲くだと突然訪ねてきた様子になり、喜びがあるから」
といったことが言われています。
⑮杜撰
【故事成語】
杜撰
【読み方】
ずさん
【意味】
物事がいい加減で誤りが多いことを言います。
また、根拠が確かでない詩や文章を書くことという意味もあります。
【由来】
杜撰の由来は諸説ありますが、有名な説を紹介します。
『野客叢書(やかくそうしょ)』の巻二◯より
宋の国に杜黙(ともく)という詩人がいました。
彼の作る詩は、詩の規則から外れたものが多かったことから、格式に合わない詩や文章のことを「杜撰=(杜黙が作った詩文)」と言うようになったとのことです。
※撰の字には、詩文を作るという意味があります。
《杜黙、詩を
この話から、いい加減で誤りが多いことを「杜撰」と言うようになったと言われています。
ちなみに、同じ意味で「杜黙詩撰(ともくしせん)」という言葉もあるよ。
「杜」の字は、音読みにすると「と」や「ず」と読み、「撰」の字は、音読みにすると「せん」や「さん」と読むことがら、「杜撰(ずさん)」と読むのですが、なぜ「とせん」ではなく、「ずさん」となったかについては分かっていません。
⑯水魚の交わり
【故事成語】
水魚の交わり
【読み方】
すいぎょのまじわり
【意味】
お互いにとって欠かせない間柄や親密な関係のことを言います。
【由来】
『三国志(さんごくし)』の「蜀志(しょくし)・諸葛亮伝(しょかつりょうでん)」より
劉備(りゅうび)と諸葛亮(しょかつりょう)の仲は、日に日に親密になっていきました。
それを関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)達は快(こころよ)く思っていませんでした。
劉備は、彼らを説得するため言いました。
「私にとって孔明(こうめい)がいるのは、魚に水があるようなものだ。どうか諸君、もう不満を言わないでほしい。」 と。
それを聞いて関羽と張飛はすぐに不満を言うのを止めたということです。
※孔明は諸葛亮の 字 (呼び名)です。
この話が由来となり、魚と水のように切っても切れない関係という意味で「水魚の交わり」と言うようになったと言われています。
⑰太公望
【故事成語】
太公望
【読み方】
たいこうぼう
【意味】
釣りをする人や釣り好きな人のことを言います。
【由来】
『史記(しき)』の「斉太公世家(せいたいこうせいか)」より
周の国の君主である文王(ぶんおう)が、狩りに出かける前に占いをしたところ、「獲物は熊(くま)や虎(とら)などではなく、覇王(はおう)の補佐役を得るでしょう」とのお告げがありました。
※覇王とは、武力や策略で貴族を支配して天下を治める人のことを言います。
そして、文王が狩りにでかけたところ、川で釣りをしている一人の老人と出会いました。
その老人は「呂尚(りょうしょう)」と言い、彼と語り合ううちに、文王は大変喜んで言いました。
「私の父である大公(たいこう)は『いつか聖人が現れて周にやってくる。そして、その聖人によって周は栄えるだろう。』と言って待ち望んでいたが、あなたがまさにその聖人に違いない。」と。
そして文王は、大公が望んでいた人物であるとして呂尚を「太公望」と名付け、自らの補佐役として向かい入れたということです。
この話が由来となり、太公望(呂尚)が文王と会った際に釣りをしていたことから、釣りをする人・釣り好きな人という意味で「太公望」と言うようになったと言われています。
ちなみに、呂尚の釣り竿には真っ直ぐな針しかついておらず、針は水の上にあったという逸話もあります。
文王が「そのような釣り竿で釣れますかな?」と声をかけると、呂尚は「もしかしたら天下が釣れるかもしれんと思ってな。」と答えたそうです。
呂尚は最初から魚を釣る気などはなく、ずっとこの機会を狙っていたということなのでしょう。
⑱怒髪天を衝く
【故事成語】
怒髪天を衝く
【読み方】
どはつ、てんをつく
【意味】
尋常(じんじょう)ではないくらいの怒りの形相(ぎょうそう)や激怒(げきど)している様子のことを言います。
【由来】
『史記(しき)』の「廉頗(れんぱ)・藺相如列伝(りんしょうじょれつでん)」より
趙国(ちょうこく)の藺相如(りんしょうじょ)が「和氏の璧(かしのへき)」を持って秦国の国王のところへ行ったところ、秦王は章台(しょうだい)の椅子に座って藺相如と対面しました。
藺相如が持ってきた宝を献上(けんじょう)したところ、秦王は大変喜び、側においている女性や側近達に伝えて宝を見せました。
すると、側近達は皆「ばんざい」との歓声をあげました。
この様子を見ていた藺相如は、秦王が15の城(町)を渡すつもりがないと悟ると、「実はこの璧には傷がございます。傷の場所を教えさせてください。」と秦王に言いました。
秦王が璧を渡すと、藺相如は璧を持ったまま後ろに下がり、柱を背にして立ち上がりました。そして、怒りで髪が逆立ち、その髪が冠を突き上げるほどの怒りをあらわにした《怒髪上りて冠を衝く》藺相如が言いました。
「大王様は璧を得たいと思い、使者を使って趙王の元に書状を届けさせました。趙王は書状の内容について家臣を集めてことごとく議論させました。すると、家臣皆が言ったのです。『秦国は貪欲で、国力の強さがあることを利用して嘘を言って璧を欲しいと言っている。璧の代償である城はおそらく手に入れることはできないだろう。』と。
議論としては秦国に璧を与えるべきではないという結論でした。
しかし、私は自分の思いを伝えました。『庶民ですらお互い相手を欺(あざむ)くことはしないのだから、大国となればなおさらでしょう。璧一つのことで、強国である秦国の友好の気持ちに逆らうことはできません。』と。
そこで趙王は5日間も心身を清めたのち、私に璧を捧げ持たせ、書状と一緒に秦の宮廷に届ける運びとなったのです。
これは大国である秦国の権威に恐れ慎み、敬意を払う心があるからです。
そうして、今私が参上してみると、大王様は正式な使者である私とありきたりな建物で面会になりました。これは礼節が全くもってなっておらず、思い上がった態度でございます。そして、璧を得るとすぐに、妾(めかけ)の女性に伝える、これは私を愚弄(ぐろう)する行為です。
このような行為によって、私は大王様が城を渡すつもりが無いと判断しました。ですので、再び璧を取り戻したわけです。
大王様がどうしても私に危害を加えようとお考えであれば、私の頭は、璧と共に柱で粉々に砕けるまでです。」
そう言うと、藺相如は璧を持って柱をにらみつけると、今にも打ち付けようとしました。 ・・・・
この話の中で、藺相如が冠を突き上げるほと髪を逆立てて怒った様子から、尋常ではないくらい激怒する様子を「怒髪、天を衝く」と言うようになったと言われています。
「怒髪冠を衝く」と言われることもありますが、日本では天を突き上げるようにという意味で「天を衝く」で定着しています。
ちなみに、その後藺相如はどうなったのかというと、言葉巧みに秦王を欺き、すきを狙って部下に璧を持たせると、粗末な服を着せて抜け道から璧を趙国に持ち帰らせたうえ、自らも殺されることなく無事に趙国に帰還することができたということです。〈完璧〉
⑲人間万事塞翁が馬
【故事成語】
人間万事塞翁が馬
(塞翁が馬)
【読み方】
にんげんばんじさいおうがうま
じんかんばんじさいおうがうま
【意味】
人生において幸運・不運は移り変わるため、予測できないをことを言います。
【由来】
『淮南子(えなんじ)』の巻十八「人間訓(じんかんくん)」より
昔、中国の北方の国境の塞(とりで)の近くに、占いが好きな翁(おきな)が住んでいました。
※翁とは男性の老人のことです。
ある日、老人の飼っていた馬が隣の国へ逃げてしまったので、人々がそのことを慰(なぐさ)めると、老人は言いました。
「これがどうして幸福にならないと言えるだろうか、いやきっと幸福が訪れる。」と。
数カ月後、逃げた馬が足の速い立派な馬を連れて帰ってきたので、皆はそれを祝福しました。
しかし、老人は言います。「これがどうして禍(わざわい)にならないと言えるだろうか、いやきっと禍が訪れる。」と。
老人の家に良馬が増えた頃、老人の息子が乗馬中、落馬して太ももの骨を折ってしまいました。
そのため皆がお見舞いに行ったところ、老人は「これがどうして幸福にならないと言えるだろうか、いやきっと幸福が訪れる。」と言います。
それから1年後、隣の国の胡(こ)の人が塞に大勢攻めてきました。
体の丈夫な若者は弓を引いて戦いましたが、塞の近くの人では、10人中9人が亡くなりました。
老人の息子だけは足が不自由であったため、戦に行かずにすんだので老人と共に助かりました。
このように、福が禍となり、禍が福となる、このような変転を見極めることはできず、その奥深さを予測することもできないということです。
この話が由来となり、人間の禍福・吉凶は移り変わるため、予測できるものではないという意味で「人間万事塞翁が馬」と言うようになったと言われています。
「安易に喜んだり悲しんだりするべきではない」という教訓の言葉とも言われているよ。
「人間万事」は、人間の全てのこと=人生、「塞翁」は、塞の近くに住む老人という意味があります。
「人間万事塞翁が馬」のそのままの意味としては、「人生は塞翁の馬のようだ」となります。
⑳背水の陣
【故事成語】
背水の陣
【読み方】
はいすいのじん
【意味】
一歩も退(ひ)くことのできない絶体絶命の状況の中で全力を尽(つ)くすことを言います。
【由来】
『史記』の「淮陰侯列伝(わいいんこうれつでん)」より
漢の武将である韓信(かんしん)は、3万の兵を率(ひき)いて、20万と称する趙(ちょう)の軍隊と戦うことになりました。
趙軍へ送っていたスパイによる情報を得た韓信は、「井陘口(せいけいこう)」という谷間に入る手前三十里のところに陣(じん)を敷(し)くと、夜中に伝令を出して、軽騎兵(けいきへい)2千人に赤いのぼり旗(ばた)を持たせ、抜け道から趙軍の陣の後ろ側にまわらせて待機させました。
そして韓信は戒(いまし)めて言いました。
「趙軍は我らが敗走するのを見れば、必ず砦(とりで)を空(から)にして追撃してくるだろう。その時お前たちは、すぐに趙軍の砦に入り、趙軍の旗をとって漢軍の赤い旗を立てるのだ。」 と。
その後、兵に食事をとらせると、主だった武将達に「今日は、趙軍に勝利して皆で食事をしよう。」と言いました。
武将たちはこの言葉を本気だとは思いませんでしたが、「承知しました。」と答えました。
そして韓信は1万の軍を出発させて井陘口を抜けた先に、川を背にして陣を敷かせました。《出背水陳(出でて水を背にして陳せしむ)》
高い場所からこれを見ていた趙軍の兵士達は、兵法も知らないのかと大いに笑いました。
通常、陣を敷く場合は逃げ道を確保するために山を背に敷くのが基本だったからです。
夜が明けた頃、今度は韓信が大将の旗を立て、太鼓を鳴らして井陘口を抜けました。
趙軍は大将のお出ましに砦を開放して攻撃を開始し、しばらく戦いを続けていましたが、頃合いを見計(みはか)らっていた韓信が負けた振りをして旗と太鼓を捨てて川辺に配置した陣へと逃げ戻りました。
趙軍は予想通り、一気にたたみかけようと砦を空にして韓信を追ってきました。
兵力的には趙軍が明らかに上回っていましたが、逃げ場がなく、皆が死を覚悟して懸命に戦っている漢軍はとても強く、なかなか打ち破ることができませんでした。
韓信が待機させていた2千人の兵士達は、砦が空になったことが分かると、砦に入って趙軍の旗を抜いて漢軍の赤いのぼり旗2千枚を立てました。
趙軍は漢軍との戦いに苦戦し、韓信を捕らえることができないでいたため、一度戻って体制を整えようとしましたが、砦を見て驚きました。
砦は赤いのぼり旗ばかりだったので、漢軍がすでに趙軍の大将を捕らえてしまったと思ったためです。
趙軍は大混乱に陥(おちい)り、体制は崩れ逃げ出す者もたくさんいました。
そこに漢軍の本隊が趙軍を挟み込むように後ろ側から攻め込んだため、挟み撃ちの恐怖にかられた趙軍は戦いに敗れ、趙軍の王を生け捕りにしたということです。
この話の中で、後ろに川(水)という逃げられない状態で全力を尽くして戦ったことから、切羽詰まった状態で必死に物事に取り組むことを「背水の陣」と言うようになったと言われています。
㉑船に刻みて剣を求む
【故事成語】
舟に刻みて剣を求む
【読み方】
ふねにきざみてけんをもとむ
【意味】
世の中の移り変わりに気付かず、古い習慣(しゅうかん)や考えにこだわる愚(おろ)かさのことを言います。
【由来】
『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』の「慎大覧(しんだいかん)・察今(さっこん)」より
楚(そ)の人に長江(ちょうこう)を渡る者がいました。
川を渡っている途中、彼の剣が舟から水中へ落ちてしまいました。
その人はすぐに舟に目印の傷を刻(きざ)んで言いました。
「ここが私の剣が落ちた場所だ」と。
舟が止まったので、目印の場所から水の中へ入って剣を探しました。
『舟は動いてしまっている。けれども剣は動いていない。
このように剣を探すというのは、なんと愚かなことであろう。
昔ながらの政策で国を治めようとするのは、これと同じことだ。
時代は変わっているのに、政策は変わらない。
そのような方法で国を治めることがどうして難しくないと言えるのだろうか、いや難しい。』
この話が由来となり、時代の変化を理解しておらず、意味もなく古い習慣にこだわる人は愚かであるという意味で「舟に刻みて剣を求む」と言うようになったと言われています。
㉒顰みに倣う
【故事成語】
顰みに倣う
【読み方】
ひそみにならう
【意味】
良し悪しを考えず、安易に人の真似をすることを言います。
また、他人を真似して行動する際に謙遜(けんそん)して言う言葉でもあります。
【由来】
『荘子(そうし)』の「天運(てんうん)」より
絶世の美女と言われる西施(せいし)という女性が、胸に病を患(わずら)い、痛みで眉をしかめていたところ、そこに住む醜女(しゅうじょ)がその様子を見て美しいと思い、家に帰ると、同じように胸に手を当てて眉をしかめるようになりました。
※醜女とは、醜(みにく)い女性のことです。
村の金持ちな人はその姿を見ると、かたく門を閉めて外に出てこなくなり、貧乏な人はその姿を見ると、妻子を連れて逃げ出してしまったといいます。
彼女は、西施が眉をしかめる様子が美しいことは理解していましたが、なぜ眉をひそめると美しく見えるのかについては理解していなかったということです。
この話が由来となり、良し悪しを考えずに、人の真似することを『(西施の)顰に倣う』と言うようになったと言われています。
※「西施の」が前につくこともあります。
「顰(ひそみ)」は、眉間(みけん)にシワをよせて顔をしかめること、「倣(なら)う」は、真似をすることです。
ちなみに、西施は中国の四代美女の一人とされているよ。
㉓羊頭狗肉(ようとうくにく)
【故事成語】
羊頭狗肉
【読み方】
ようとうくにく
【意味】
見かけだけは立派で、中身が伴(ともな)わないことを言います。
【由来】
『無門関(むもんかん)』の六則「世尊拈花(せそんねんげ)」より
昔、釈迦(しゃか)が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法をした時のことです。
釈迦は一輪の花をつまむと、何も言わずに弟子達に示しました。
皆は戸惑い、無言で意味を考えていましたが、その中でただ一人、摩訶迦葉(まかかしょう)という弟子だけが(真意を理解して)にっこりと微笑(ほほえ)んでいました。
すると、釈迦は「私は〈正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・涅槃妙心(ねはんみょうしん)・実相無相(じっそうむそう)・微妙の法門(みみょうのほうもん)〉の真理を体得している。それは言葉で言い表せない以心伝心によるものであるが、その全ての真理を摩訶迦葉へ伝授しよう。」と言いました。
この話から無門(むもん)は言いました。
「黄金に輝くお釈迦様の、なんと傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なことだろう。
摩訶迦葉一人だけを相手にして、他の人を無視して見下している。羊の頭を掲(かか)げておきながら、実際には犬の肉を売るようなものだ。《羊頭(ようとう)を懸(か)けて狗肉(くにく)を売る》
とても普通の人間ができる芸ではない。
もしあの時、その場にいた全員が微笑んでいたとしたら、どのように伝授するつもりだったのだろうか。
また、摩訶迦葉が微笑まなかったとしたら、どうやって正法眼蔵を伝えていたのだろうか。
そして、正法眼蔵を伝授する方法があるとすれば、皆を騙(だま)していたころになる。
伝授できないとするならば、 どうして摩訶迦葉一人だけ伝授したと言えるのだろうか。」と。
この話が由来となり、見かけばかりで中身が伴わないことを「羊頭狗肉」と言うようになったと言われています。
「狗(いぬ)」は、小型の犬や子犬のことを表す言葉だよ。
現在は、小型犬も「犬」と書くのが一般的だね。
㉔李下に冠を正さず
【故事成語】
李下に冠を正さず
【読み方】
りかにかんむりをたださず
【意味】
人から疑いをかけられるような行動は避けるべきだという意味があります。
【由来】
『古楽府(こがふ)』の「君子行(くんしこう)」より
人格者は、事が起こる前に未然に防ぎ、嫌疑(けんぎ)をかけられるような立ち振る舞いはしないものです。
※嫌疑とは、悪事をしたのではと疑われることです。
例えば、瓜畑(うりばたけ)の中で、靴を履(は)きなおすような仕草(しぐさ)はせず、李(すもも)の木の下で、手を上げて冠(かんむり)をかぶり直したりはしません。《李下に冠を正さず》
また、密通を疑われないよう兄嫁と弟は直接物を受け渡さず、年少者が年長者と肩を並べることもしません。・・・・
この言葉が由来となり、疑われるような行動はすべきではないという意味で「李下に冠を正さず」と言うようになったと言われています。
李下(りか)は、すももの木の下という意味です。
㉕禍いを転じて福と為す
【故事成語】
禍を転じて福と為す
【読み方】
わざわいをてんじてふくとなす
【意味】
災難や失敗を逆に利用して、いい結果に結びつけることを言います。
【由来】
『史記』の「蘇秦列伝(そしんれつでん)」/『戦国策(せんごくさく)』の「燕策(えんさく)」より
強国である秦国(しんこく)に対抗するため、蘇秦(そしん)という縦横家(じゅうおうか)が「趙(ちょう)・韓(かん)・魏(ぎ)・燕(えん)・斉(せい)・楚(そ)」の6国の間で同盟を結ぶことを提案し、成立させた後のことです。
張儀(ちょうぎ)という縦横家の策略により、そそのかされた斉国が同盟を破り、燕国に攻め入って10の城を奪ってしまいました。
そのため蘇秦は、斉国へ行って城を取り戻してくることを燕国の王に約束します。
そして、蘇秦は斉国の王の説得に試みるのですが、その時に蘇秦が言った言葉が由来とされています。
《
「私は聞いています。昔からよく物事を制する人は、災難な出来事であっても視点や考え方を変えることで福にして、失敗によって成功をおさめるものです。」
この「禍を転じて福と為し《転禍為福》」という言葉が由来となり、災難や失敗から良い結果に結びつけるという意味で「禍を転じて福と為す」と言うようになったと言われています。
禍を転じて福と為すは、災難から成り行きで良い結果となったという意味ではないことに注意してね!
災難や失敗だと思っていたことから思いがけなく良い結果となることは、「怪我の功名(けがのこうみょう)」と言うよ。
まとめ:故事成語は、昔の出来事から作られたことわざや慣用句のこと
- ことわざは、教訓や皮肉などの意味を含み、単体でも使用できる言葉
- 慣用句は、構成する言葉とは別の意味を持ち、定型句の一種として文中に使用される言葉
- ことわざと慣用句の区別が難しい言葉もあることから、一般的にことわざと慣用句は同類の言葉として扱われている
いかがでしたでしょうか。
ことわざや慣用句の中で、昔の出来事が由来となって作られた言葉は故事成語と言われていることが分かりました。
故事成語の中には、言い回しが難しく、覚えにくいものもありますが、由来となった話を知ることで理解を深めることができます。
ぜひ故事成語を覚える際には、元になった話から学んでみてくださいね。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。