日本には八百万(やおよろず)の神がいると言われています。
その中でも、縁起の良い神様として有名な「七福神」ですが、皆さんは『七福神の名前』を全て答えることができますか?
なんとなく七福神のことは知っていても、全員の名前までは答えられないという方が多いようです。
また、七福神はどのような神様で、なぜ船に乗っているのか分からないという方も多いのではないでしょうか。
そこで、この記事では、
- 七福神の意味と由来
- 七福神の種類(名前・役割・ご利益)と特徴
- 七福神の覚え方
- 七福神に並べ方はある?
- 七福神が船に乗っている理由
- 七福神に八人目がいるのは本当?
について解説・紹介していきます。
七福神の意味とは
「七福神(しちふくじん)」とは、
『福をもたらすとされる7柱(はしら)の神様の総称』になります。
「柱(はしら)」ってどういう意味があるの?
「柱」は神様を数える単位だよ。
神様は人ではないから、数える単位は「人(にん)」ではないんだ。
七福神の一覧(名前・読み方)
下記の7柱が、現在「七福神」として日本で信仰されている神様となります。
- 恵比寿(えびす)
- 大黒天(だいこくてん)
- 毘沙門天(びしゃもんてん)
- 弁財天(べんざいてん)
- 福禄寿(ふくろくじゅ)
- 寿老人(じゅろうじん)
- 布袋(ほてい)
七福神の由来
「七福神」は、初めから「七福神」として信仰されていたわけではなく、「福をもたらす神様」として、それぞれ信仰のあった7柱の神様が合わさって生まれたものとされています。
「七福神」として信仰されるようになったのは、室町時代後期頃からと言われており、それ以前の平安時代では、「恵比寿」と「大黒天」の2柱が二福神として主に祀られていたようです。
七福神は、江戸時代に今の形となった
時が経ち、やがて恵比寿と大黒天に「毘沙門天」が加えられるようになります。
三福神として人々の間で定着しましたが、平安時代の終わりには「弁財天」への信仰が盛んになったことで、毘沙門天の代わりに弁財天が三福神に加えられることも多くあったようです。
そして、室町時代になると「布袋」・「福禄寿」・「寿老人」などの話が中国から伝わり、『仏教の教え』や『竹林の七賢(ちくりんのしちけん)』などの影響から次第にセットとして考えられるようになり、「七福神」として信仰されるようになったと言われています。
しかし、当初は必ずしも現在の7柱とは限らず、様々な組み合わせがされていた時代もあったようで、現在の形で定着したのは江戸時代になってからとされています。
ちなみに、日本由来の神様は「恵比寿」のみで、「大黒天・弁財天・毘沙門天」はインドの神様、「福禄寿・布袋・寿老人」は中国の神様が由来となっています。
七福神の由来とされる仏教の「七難即滅七福即生」・中国の伝説「竹林の七賢」とは
仏教の経典(仁王経)の中には、『七難即滅(しちなんそくめつ)七副即生(しちふくそくしょう)』という「7つの災いがたちまち消滅し、7つの福がもたらされる」という教えがあります。
この「七難即滅 七副即生 」の教えが由来となり、
『七福神を信仰すれば、7つの災いが除かれ、7つの幸せを授かる』として「七福神」の信仰が生まれたという説になります。
ちなみに、経典での七難とは、「風害・水害・火災・干害・盗難・太陽の異変・星の異変」のこと、七福とは、「裕福・寿命・人望・清簾(せいれん)・威光・愛敬(あいきょう)・大量」のことを意味しています。
この七福は七福神に当てはめられていますので、ご紹介しますね。
- 裕福=大黒天
- 寿命=寿老人
- 人望=福禄寿
- 清簾=恵比寿
- 威光=毘沙門天
- 愛嬌=弁財天
- 大量=布袋
また、中国の故事には、「7人の賢人が俗世を避けて竹林に集まっては清談(せいだん)を行い、酒や琴を楽しんだ」という伝説があり、これを基にした水墨画が多く描かれていたことから、これにちなんで7柱を集めてセットで信仰するようになったとも言われています。
七福神の種類(名前・役割・ご利益)と見分け方
それでは、「七福神」の七柱それぞれの意味や由来を説明していきます。
神様の特徴も紹介していきますので、ぜひ見分け方のポイントとしてみてください!
①恵比寿(えびす)
恵比寿は、右手に竿・左手に鯛を持った姿が特徴です。
また、烏帽子(えぼし)が風で折られた形を意味する「風折烏帽子(かざおりえぼし)」と呼ばれる帽子をかぶっています。
『商いの神様』として信仰されており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・商売繁盛
・大漁豊作
など
ちなみに、恵比寿の絵には「釣りして網せず」という意味が込められており、暴利をせず、適度が大切という心を表しているそうです。
恵比寿の由来
恵比寿は、古来から信仰されてきた神様で、「えびす」の文字は「夷・戎・胡・蝦夷・恵比須・恵美須・恵美寿」などと表記されることもあり、「えべっさん・えびっさん・おべっさん」といった愛称で呼ばれることもあります。
また、恵比寿は、イザナギノミコトとイザナミノモコトの間に生まれた最初の子『ヒルコ』という説と、大国主神(おおくにぬしのかみ)と神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)の子『事代主神(ことしろぬしのかみ)』という2つの説がありますので紹介します。
1.ヒルコ説
『日本書紀』によると、ヒルコの体は異常に柔らかく、3歳になっても立つことができなかったため、クスノキの船に乗せて流されたとされています。
日本書紀では流された以降のことについては語られていませんが、各地にヒルコが流れ着いたという伝承が残っているそうです。
その後、ヒルコはゑびす信仰と結びついて祀(まつ)られるようになりました。
ゑびす信仰というのは、『海から稀に流れ着く異国からの漂着物』に対しての信仰のことで、「幸福は海からやってくる」という考えから、漂着物を大切に扱い、大漁祈願を行っていたそうです。
また、クジラも寄り神として漁業の神様とされていました。
ちなみに、ヒルコは「日子・昼子」と書き、太陽の神であるために海に流されたという説もあります。
2.事代主神(ことしろぬしのかみ)説
日本神話の「国譲り」の中で、事代主神が釣りをしていた場面が記されていたことから、釣りをする神様=大漁の神様として祀られるようになったという説になります。
ただ単にこじつけのような気もしてきますが、神様も釣りをするのかと思うと、親しみがわきますね。
②大黒天(だいこくてん)
大黒天は、右手に打ち出の小槌(こづち)、そして、米俵があるのが特徴です。
また、ふっくらとした丸頭巾をかぶっており、左手には袋を持っています。
袋の中身は、福が詰まっていると言われますが、七宝など、様々な説があります。
※七宝は、「 裕福・寿命・人望・清簾・威光・愛敬・大量 」の精神的宝のことです。
大黒天は『食物・財運の神様』として信仰されており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・財運福徳
・五穀豊穣
・出世開運
など
ちなみに、2つの米俵は「二俵で満足」という謙虚な心を表しているそうです。
大黒天の由来
大黒天は、インドのヒンドゥー教の「破壊と再生の神様」とされる『シヴァ神(マハーカーラ)』が由来となった神様で、中国の仏教では「軍・戦闘・富貴爵禄(ふうきしゃくろく)の神様」とされていました。
※富貴爵禄とは、身分が高く、財産が豊富にあることを意味しています。
インドのサンスクリット語で「マハー」は『大(偉大なる)』、「カーラ」は『黒(暗黒)』を意味しており、インドから仏教に取り入れられた神様には『天』がつけられたため、『大黒天』と名付けられたそうです。
日本に台所の神様として伝わった大黒天
日本では密教の伝来と共に伝えられたとされる「大黒天」ですが、平安時代、天台宗の開祖である「最澄(さいちょう)」(766年~822年)が『比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)』の守護神として「三面大黒天」の像を祀ったのが信仰の始まりとされています。
「三面大黒天」の像は、大黒天を中心にして、右側に毘沙門天、左側に弁財天を一体化させた三面像で、大黒天は台所を守る神様として祀られたそうです。
なぜ、大黒天が台所の神様として祀られたのかというと、中国南部の寺院では、「食物を司る台所の神様」として大黒天を祀っていたことから、日本でも台所の神様としての大黒天が伝わったようです。
また、伝説によると、最澄の前に一人の仙人が現れ、毎日三千人分の食料を用意することと、信仰により福徳と寿命を授けることを約束されたため、この仙人は大黒天に違いないと思い、尊像を彫って台所に祀ったという話もあります。
大黒天は大国主神と同一視された
日本神話の中には、出雲に国を作ったとされる「大国主神(おおくにぬしのかみ)」という神様が登場し、古くから豊穣をもたらす神様として人々の間で広く信仰されていました。
すると、大黒天の「だいこく」が「大国」に通じるとして※神仏習合(しんぶつしゅうごう)されるようになり、大黒天と大国主神が同一視されるようになったそうです。
※神仏習合というのは、神道と仏教を調和・融合して信仰する思想のことを言います。
大黒天と大国主神が同一視されるようになってからは、大黒天に笑顔が加えられるようになり、現在のような袋と小槌を持った福の神としての姿へと変わっていくこととなったそうです。
そして、台所の守護神から食物や財をもたらす福の神としての意味合いが強くなり、「豊穣・福徳の神様」として広く信仰されるようになったと言われています。
ちなみに、大黒天が袋を持っているのは、神話の『因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)』の中で、大国主神が袋を持っていたことが由来とされています。
③毘沙門天(びしゃもんてん)
毘沙門天は、甲冑(かっちゅう)を身にまとい、勇ましい姿をしているのが特徴です。
また、右手には「宝棒(ほうぼう)」と呼ばれる武器、左手には「宝塔(ほうとう)」を掲げています。
この「宝塔」の中には、8万4千の教えと12部経(仏教経典)があるとされていて、それを見た人は大きな智慧(ちえ)を得ることができるそうです。
毘沙門天は『守護の神様』とされており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・厄除け
・勝運
・多願成就
など
毘沙門天の由来
毘沙門天は、インドのヒンドゥー教の「財宝の守護神」とされる『クベーラ』が由来となった神様で、サンスクリット語では別名『ヴァイシュラヴァナ』と言います。
ヴァイシュラヴァナという音を漢字で表すと、「毘沙羅門」となり、そこから「毘沙門」へと変化して「毘沙門天」と名付けられたそうです。
また、ヴァイシュラヴァナは「よく聞く所の者」という意味にもとらえることができることから、「多聞天(たもんてん)」とも呼ばれています。
仏教で毘沙門天は、「夜叉(やしゃ)」や「羅刹(らせつ)」といった鬼神を配下に従え、仏教世界の北方を守護し、仏法を守る四天王の一柱とされており、四天王として毘沙門天をお祀りする場合は「多聞天」、独尊像としてお祀りする場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例とされています。
武神として信仰された毘沙門天
毘沙門天は、四天王の中でも最強の武神とされることから、勝利に導く神様であり外敵から守ってくれる守護神として上杉謙信や武田信玄といった戦国大名に特に好まれて信仰されていました。
その中でも、上杉謙信の信仰は厚かったようで、自らを毘沙門天の生まれ変わりと語るほどだったようですが、武神と思わせるほどの驚異的な実力の持ち主で、連勝を重ねたとされています。
福徳・財宝の神様として広まった毘沙門天
毘沙門天のことが書かれている『毘沙門天王功徳経(びしゃもんてんのうくどくきょう)』によると、毘沙門天の住んでいる「吠室羅摩那郭大城(べいしらまやくだいじょう)」という城からはたくさんのが福徳・財宝が湧き出でくるため、どうしようもないので毎日三回燃やしているという内容が書かれています。
そして、毘沙門天を信仰し、人のため、世のために福徳・財宝を授かりたいという者が真言を唱えれば、湧き出た福徳・財宝を得ることができ、どんな願いでも叶うとあります。
そのため、毘沙門天は、福を授ける福の神としても信仰されるようになったと言われています。
④弁財天(べんざいてん)
弁財天は、七福神の中で唯一の女神であり、琵琶(びわ)という撥弦楽器(はつげんがっき)を腕に抱えているのが特徴です。
『財運・芸事・知恵の神様』として信仰されており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・学徳成就
・財運向上
・技芸上達
など
弁財天の由来
弁財天は、インドのヒンドゥー教の「芸術・学問などの知を司る女神」とされる『サラスヴァティー』が由来となった神様で、「サラスヴァティー」という名は「水を有するもの」を意味する聖河の名前から名付けられています。
サラスヴァティーは、河を神格化して信仰されるようになった水の神様であることから、川の流れが由来となり、※弁舌(べんぜつ)や音楽など、流れるもの全ての才能の神様とされました。
※弁舌とは、ものの話し方のことです。
また、さらさらと流れる川のようにサラスヴァティーの弁舌は淀みがなく爽やかで、弁才に長(た)けると連想されたことから、仏教に取り入れられると「弁才天」と呼ばれるようになったと言われています。
ちなみに、弁才天は、妙なる(何とも言えないほど美しい)音楽を奏でる女神として「妙音天」や「美音天」とも呼ばれています。
日本で財の神様として信仰された弁才天
奈良時代に中国から伝わった当初は、知の女神とされながらも8本の腕に武具を持ち、仏法を守護する戦闘神として祀られていたようです。
しかし、平安時代になると、2本の腕に琵琶を持つ姿の弁才天も伝わり、主に水に関係する地域で信仰されるようになりました。
また、漢訳経典『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』に「弁才天の陀羅尼(だらに)を誦(しょう)せば所願が成就し、財を求めれば多くの財を得られる」と記されていたことから、財の神様としても信仰されるようになったそうです。
そのため、財をもたらす福の神としての信仰が集まったことから、弁才天の「才」が「財」に通じるとして、当初は「弁才天」と書かれていたものが「弁財天」と書かれるようになったと言われています。
ちなみに、仏教の弁才天は、日本の神様である「宇賀神(うがじん・うかのかみ)」や「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」と神仏習合により同一視されることになります。
宇賀神と同一視された弁才天
日本神話には登場しない神様になりますが、弁才天は、食物神や財をもたらす神様とされていた「宇賀神(蛇神)」と神仏習合されたことにより、「宇賀弁才天(うがべんざいてん)」としても広く信仰されるようになりました。
「宇賀弁才天」として祀られた像には、宝冠(ほうかん)と一緒に鳥居が付けられ、頭は翁(老人)・体は蛇の姿をした「宇賀神」が弁才天の頭に鎮座しているため、まさに神仏が融合した像となっています。
宇賀神は、頭が女性の時あるようだよ。
また、弁才天も8本の手に「剣・矛(ほこ)・法輪(ほうりん)・宝珠(ほうじゅ)・宝弓(ほうきゅう)・宝箭(ほうせん)・宝棒(ほうぼう)・鍵」といった武具と財宝を持っていることから、戦闘神と財宝神であることがうかがえます。
市杵嶋姫命と同一視された弁才天
日本神話に登場する「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」は、天照大神(あまてらすおおみかみ)から生まれたとされる『宗像三女神(むなかたさんじょしん)』の1柱で、海上の女神とされています。
また、絶世の美女として信仰されていたため、これまた絶世の美女とされ、水の神様である弁才天と結びついたと考えられています。
ちなみに、『日本三大弁天』とされている神奈川県/江ノ島の「江島神社(えのしまじんじゃ)」・広島県/厳島の「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」・滋賀県/竹生島(ちくぶしま)の「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」は、「市杵嶋姫命」をお祀りする神社となっています。
⑤福禄寿(ふくろくじゅ)
福禄寿は、身長の約半分と言われるくらいの長い頭と長い白ひげ、長寿の象徴である鶴や亀を従えているのが特徴です。
また、右手には杖(つえ)を持ち、お経が記してあるとされる巻物を持っています。
※巻物は杖に結んでいることも!
『長寿の神様』として信仰されており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・子孫繁栄
・財運招福
・長寿延命
・学力向上
など
福禄寿の由来
福禄寿は、中国の「道教の神様」が日本に伝わり、信仰されるようになった神様とされています。
中国では、『寿星の化身』や、実際に存在した『仙人』、道教の理想とされる「福・禄・寿」を具現化した神様など言われているようです。
星の化身とされた福禄寿
「寿星(じゅせい)」は、中国で「南極老人星」や「老人星」とも呼ばれていますが、太陽を除く全天で2番目に明るい恒星とされる「カノープス(りゅうこつ座α星)」という赤く輝く星のこで、『健康・長寿の星』として信仰され、神格化された星になります。
また、道教では『幸福(子孫繁栄)・封禄(財産)・長寿』の三徳を得ることを人間の理想としており、幸福の星とされる「福星」、財産の星とされる「禄星」も神格化されたことから、やがて「福・禄・寿」の3つの星は3神一組の神様として信仰されるようになったと言われています。
ちなみに、福星・禄星・寿星の神様は、『三星図』として3神一緒に描かれることが多かったようですが、寿星は人の姿、福星と禄星は発音が似ているコウモリや鹿で描かれることもあり、必ずしも皆が人の姿とは限らなかったようです。
そのため、中国から日本に「福禄寿」の絵が伝わった際、動物を伴った1柱の神様が描かれているように見えたため、日本では3神の「福禄寿」ではなく1神で「福禄寿」として認識され、広まることとなったのではないかと言われています。
⑥寿老人(じゅろうじん)
寿老人は、白ひげを生やして中国の頭巾をかぶっており、不良長寿の象徴とされる桃や、自然と長寿との調和を意味する鹿を連れているのが特徴です。
また、人の寿命が書いてあるとされる巻物を吊るした杖を持っており、不死の霊薬が入った瓢箪(ひょうたん)や、災難を払うとされる軍配を持った姿で描かれることもあるようです。
昔は頭巾をかぶってない寿老人も描かれていたようだから、その時は連れている動物や持ち物で見分けるのがポイントだよ。
福禄寿と同様に『長寿の神様』として信仰されており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・長寿幸福
・諸病平癒(病気が完治して治ること)
・富貴繁栄
など
寿老人の由来
寿老人は、福禄寿と同じ「寿星の化身」とされる中国の道教の神様が由来という説と、道教の始祖とされる「老子の化身」という説があります。
1.寿星の化身説
福禄寿の由来と同じ神様のため、『寿老人は福禄寿と同体異名の神様(名前は違うけれど同一の神様)』とされることもあります。
なぜ由来が同じ神様が2柱もいるのかについては、「福禄寿」は様々な姿で描かれていたため、中国から日本に伝わった際に容姿が違っていたことから、2柱の違う神様として別々に伝わり、信仰されるようになったのではと考えられています。
ちなみに、七福神が定着する以前は、福禄寿と寿老人は同一の神様であるとして寿老人の代わりに『猩々(しょうじょう)』が入れられることもあったようです。
猩々とは、赤い毛で猿のような姿に人間の顔、二足歩行で歩き、酒好きで人間の言葉を理解してよく話す中国の伝説上の神獣と言われています。
2.老子の化身説
道教において老子は、不老不死の仙人になったと考えられたことで、長寿の神様として信仰の対象になったとされています。
そのため、「寿老人」という神様が作られ、老子に似た威厳のある風貌に描かれた神様が日本に伝わったということです。
ちなみに、老子は道教の最高神格の一柱とされており、「太上老君(たいじょうろうくん)」や「道徳天尊(どうとくてんそん)」、「混元老君(こんげんろうくん)」、「降生天尊(こうせいてんそん)」、「太清大帝(たいせいたいてい)」といった名で呼ばれることもあります。
⑦布袋(ほてい)
布袋は、はだけた衣服に太鼓のようなお腹、手には軍配を持ち、大きな袋を持っているのが特徴です。
持っている大きな袋は、日本では堪忍袋とも言われますが、人に分け与える幸福が入っているとお答えになったという話もあります。
『笑門来福の神様』として信仰されており、主に次のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・夫婦円満
・子孫繁栄
・千客万来
など
布袋の由来
布袋は、中国の唐代末期頃に唯一実在したことが分かっている自称『契此(かいし)』という僧侶が由来の神様で、契此の没後、「弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身」とされ、神格化された神様になります。
弥勒菩薩とは、仏教において釈迦の次(入没後56億7千万年後の未来)に現れて悟りを開き、人々を救済すると言われている神様です。
布袋が「弥勒菩薩の化身」とされた理由としては、次のようなことが挙げられています。
- 雪の中で横たわっていても、契此の身体の上には雪が全く積もらず、濡れてもいなかった
- 予知能力的なものがあり、占いが必ず当たった
- 契此は埋葬されたのにもかかわらず、後日、他の離れた地で姿を見た者がいた
- 契此が死に際に語った言葉が、自分が弥勒菩薩の化身であるという意味にとれた
ちなみに布袋という名前は、契此が常に大きな布袋を背負い放浪の旅をしていたため、「布袋和尚」と呼ばれたことが由来とされていて、生活で必要な物や施しを受けたものは何でも受け入れ袋に入れていたとされています。
また、布袋は『布袋尊(ほていそん)』とも呼ばれますが、「尊」は神様を呼ぶときの敬称となります。
鎌倉時代に日本に伝わった布袋
布袋は、鎌倉時代に日本に伝わったとされていて、禅画(ぜんが)の題材として取り入れられ、次第に福の神として信仰されるようになったと言われています。
禅画というのは、禅宗の教えや精神を絵で表した作品のことです。
布袋のふくよかな姿が、心の広さや円満な人格、富貴繁栄の象徴として人々に親しまれるようになったとされています。
七福神の覚え方
七福神について説明してきましたが、7柱全員の名前を思い出せないという方も多いようです。
そこで、七福神の覚え方を紹介しますので、ぜひ覚える時の参考にしてみてください!
七福神の覚え方【その1】
七福神の覚え方としてよく紹介されているのが、次の語呂合わせです。
覚え方 『「海老で鯛釣るご老人」、初めが抜けてる「(は)ひふへほ」』
この語呂合わせを説明すると次のようになります。
海老(えび)=恵比寿(えびす)
で
鯛(たい)=大黒天(だいこくてん)
釣る
ご老人(ろうじん)=寿老人(じゅろうじん)
初めが抜けてる
(は)→(初めが抜けているので「は」は省く)
ひ=毘沙門天(びしゃもんてん)
ふ=福禄寿(ふくろくじゅ)
へ=弁財天(べんざいてん)
ほ=布袋(ほてい)
初めにそれぞれの神様の名前を覚えておく必要がありますが、この語呂合わせで7柱全員の神様を思い出せるのではないでしょうか。
けれども、「鯛」=恵比寿のイメージがありますので、個人的には少ししっくりときませんでした。
そこで、私なりに覚え方を考えてみましたので、ご紹介します。
七福神の覚え方【その2】
こちらの覚え方は、イメージと語呂合わせによる覚え方です。
まず、お祝いをするために、寿老人が弁財天に海老と大福を持って行こうとするのですが、途中でつまずいてしまい、海老と大福を水たまりにビシャっと放って落としてしまうというシーンをイメージしています。
覚え方 『弁天へ、寿老人海老と大福、放ってビシャ』
弁天(べんてん)=弁財天(べんざいてん)
へ
寿老人(じゅろうじん)=寿老人(じゅろうじん)
海老(えび)=恵比寿(えびす)
と
大(だい)=大黒天(だいこくてん)
福(ふく)=福禄寿(ふくろくじゅ)
放って(ほって)=布袋(ほてい)
ビシャ=毘沙門天(びしゃもんてん)
いかがでしょうか。
ぜひ七福神を覚える際には活用してみてくださいね。
七福神の並べ方に順番はある?
福を呼び込む縁起物として、七柱一組となった七福神の置物が飾られることがありますが、七福神の置物を並べる際に、どのような順番で置いたらいいのか分からないという方も多いようです。
基本的に七福神の並べ方は決まってはいないとされていますが、七福神を横に一列で並べる場合、
『叶えたい願い事の順に左から並べていくと良い』と言われています。
例えば、金運を高めたいのであれば、財運の神様とされる「大黒天」や「弁財天」を自分から見て左側に置くようにしましょう。
一説によると、「右に出るものはいない=右側が優位」ということから、
『一番叶えて欲しい願いの七福神の右隣には、他の神様は置かないようにする』のだそうです。
※自分から見て左から並べると、一番叶えたい七福神の右隣はいないことになります。
また、七福神を祀っている寺社などでは、次のような順番で並べられることが多い傾向にあるようです。
- 左〉恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋〈右
- 左〉恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人〈右
- 左〉恵比寿・大黒天・弁財天・毘沙門天・福禄寿・寿老人・布袋〈右
二列に並べる場合は?
七福神の並べ方が、「右に出るものはいない」が由来になっているとすると、二列で並べる場合は、前にいるほど優位と考えることができます。
そのため、叶えたい願い事に関係する七福神を前方の左から3柱または4柱置き、残りの七福神は後方の左からを配置すると縁起を担いだ並べ方となるのではないでしょうか。
七福神が船に乗っているのはなぜ?
七福神は、「宝船(たからぶね・ほうせん)」と呼ばれる船に乗って描かれていることも多いですよね。
これは、七福神は、海の彼方にあるとされる理想郷である「常世国(とこよのくに)」から船に乗ってやってくると考えられたことが由来のようです。
日本神話でヒルコが海に流された後、無事に流れつき、恵比寿神として祀られるようになったと言われることからも、海の彼方には神々の世界があり、船に乗って福を運んでくると考えられるようになったことと結びつきます。
ちなみに宝船はもともと、正月2日の夜に船が描かれた絵を布団の下に敷いて眠り、翌朝川へ流したり埋めたりして悪夢を流すという「夢祓え(ゆめはらえ)」の風習が原型だと言われています。
その後、悪い夢を流すための船は七福神を乗せた船になり、初夢に良い夢を見るための宝船へと変わっていったようです。
初夢は、一年の吉凶を占うものとされていますので、なんとしてでも良い夢を見たかったのでしょうね。
良い初夢を見るための宝船
室町時代頃の人々の間では、
『なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな』
という和歌と七福神が乗った宝船が描かれた絵を枕の下に置き、この和歌を3回読んで寝ると良い夢が見られるとされていたそうです。
この和歌は、回文(かいぶん)となっており、前から読んでも後ろから読んでも同じ文になります。
意味としては、様々な訳がされていますが、下記の訳がしっくりときますのでご紹介します。
訳『長い夜の 深い眠りから 皆目覚め 波に乗る船(宝船)の なんと心地良い音だろう』
また、宝船の帆(ほ)には、「寶(宝)」や「貘(獏)」の字が書かれ、七福神の他に金銀財宝やサンゴといった宝物も描かれるのが一般的です。
貘(ばく)は、中国の伝説上の生き物で、『悪い夢を食べてくれる縁起の良い動物』として扱われていたことから、貘の文字が宝船に書かれるようになったと言われています。
ちなみに、もし初夢に悪い夢を見てしまった場合には、絵を川に流すと縁起直しができるとされていたようですよ。
七福神に八人目がいるって本当?
昔から「八」という数字は『末広がりで縁起が良い』と言われることから、「七福神」ではなく、もう1柱加えて「八福神」としてお祀りする場合もあるようです。
「末広がり」がなぜ縁起が良いと言われているのかについては、下記の『末広がりの意味とは?』の記事で詳しく紹介していますので、よろしければご覧ください。
末広がりの意味とは?使い方や英語表現についても分かりやすく紹介
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また、中国では『八仙(はっせん)』と呼ばれる実在したとされる道教の仙人8人をモチーフにした掛け軸や陶磁器を縁起物として祀る風習があり、これが日本に伝わったことで「七福神」や「八福神」となったという説もあります。
八仙 ①曹 国舅(そう こっきゅう)・・・貴の象徴
②鍾離 権(しょうり けん)・・・富の象徴
③李 鉄拐(り てっかい)・・・賤の象徴
④藍 采和(らん さいか)・・・貧の象徴
⑤呂 洞賓(りょ どうひん)・・・男の象徴
⑥何 仙姑(か せんこ)・・・女の象徴
⑦韓 湘子(かん しょうし)・・・少の象徴
⑧張 果(ちょう か)・・・老の象徴
ちなみに、八仙を題材にした小説『八仙東遊記』により、八仙が船に乗り、海を渡っている様子が描かれることが多いことから、宝船の由来とされることもあるようです。
八福神の八人目に入れられる神様
八福神として祀られる際には、下記の神様が七福神のもう一柱に加えられています。
※地域によって入れられる神様は違うようです。
吉祥天(きっしょうてん・きちじょうてん)
吉祥天は、インドのヒンドゥー教の「美・富・豊穣・幸運の女神」とされる『ラクシュミー』が由来となった神様で、美女の代名詞とされるほど大変美しい顔立ちをしていると言われています。
吉祥天の「吉祥(きっしょう)」には、『幸福・繁栄』という意味があり、左手にはどんな願い事・宝でも作り出すことのできると言われる「如意宝珠(にょいほうじゅ)」、そして右手は人々の願いを叶える証とされる「与願印(よがんいん)」を作っているのが特徴です。
奈良時代に中国から伝わったとされる吉祥天は、主に貴族の間で信仰されていましたが、鎮護国家の役割も担っていたため、あまり庶民の間では広まらなかったとされています。
七福神の一人となることもあったようですが、後から伝わった弁財天の人気が高まっていったことで、吉祥天と混同されたり同一視されたりして、吉祥天は影の薄い存在になっていったようです。
吉祥天には、主に下記のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・五穀豊穣
・財運隆昌(財運アップ)
・家内安全
・商売繁盛
など
お多福(おたふく)
お多福は、「おかめ(お亀)」や「おふく(お福)」、「乙御前(おとこぜ)」とも呼ばれますが、日本神話に登場する女神である『アメノウズメ』が由来とされています。
アメノウズメは、天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる洞窟に閉じこもってしまった「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を洞窟から出すため、半裸になって舞い踊り、神々を大笑いさせたことで洞窟の扉を開かせることに成功した神様です。
お多福は、下膨れな顔に低くて丸い鼻が特徴で、狂言面として登場するようになったことで、広く親しまれるようになったと言われています。
平安時代には、お多福のような顔は美人の象徴とされ、福を呼ぶ顔立ちと言われてきましたが、時代と共に不美人だとされるようになり、狂言では主に醜女役の面として扱われています。
「お多福」と呼ばれるようになった由来としては諸説あるようですが、多くの福を呼ぶ顔ということで「お多福(おたふく)」と呼ばれるようになったというのが有力な説とされているようです。
お多福には、主に下記のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・開運招福
・災難厄除
・商売繁盛
など
達磨(だるま)
達磨は、中国の禅宗の開祖とされている仏教僧侶で、「だるま」という名前は、サンスクリット語で『法』を意味しています。
南インドの王子やペルシア出身とも言われていますが、正確なことは分かっていません。
日本へは鎌倉時代に伝わったとされていて、「達磨大師(だるまだいし)」や「菩提達磨(ぼだいだるま)」とも呼ばれています。
伝説によると、達磨は9年にもわたり壁に向かって座禅を組む「壁観(へきかん)」という修行を行っていたため、手足が腐り落ちてしまったとされています。
そのため、達磨を模した像には手足が無く、「面壁九年(めんぺききゅうねん)」という言葉も生まれたそうです。
※面壁九年とは、一つのことに忍耐強く専念するという意味があります。
また、室町時代に伝わったとされる「起き上がり小法師(こぼし・こぼうし)」は、倒れることなく何度も起き上がることから、達磨の不撓不屈(ふとうふくつ)の精神に結び付けられたことで、江戸時代には、達磨を模した起き上がり小法師が作られることとなったと言われています。
ちなみに、だるまの赤色は、達磨が身につけていた法衣の色が赤色だったことに由来しているようで、昔は赤色は魔除けの効果がある色とされていたことから、だるまの置物は、病気や災いから守ってくれる縁起物とされていたようです。
達磨には、主に下記のようなご利益があると言われています。
ご利益 ・厄除け
・祈願成就
など
まとめ:七福神は特徴を押さえ、語呂合わせで覚えよう
- 七福神は日本・中国・インドの神様が由来となり合わさったもの
- 江戸時代までは七福神の神様は様々で定まっていなかった
- 七福神は、 恵比寿 ・ 大黒天 ・ 毘沙門天 ・ 弁財天 ・ 福禄寿 ・ 寿老人 ・ 布袋 の七柱
- 七福神は、左から順に叶えたいご利益のある神様から並べると良い
- 七福神が宝船に乗っているのは、海の彼方にある「 常世国 」から神様が船に乗って幸福を運んでくると考えられていたことや中国の八仙の絵が由来とされている
- 地域によって七福神にもう一柱加えた八福神で祀られることもある
いかがでしたでしょうか。
七福神は特徴を押さえ、語呂合わせを覚えておくとスムーズに思い出すことができます。
毘沙門天と弁財天のどちらが女神か分からなくなったり、福禄寿と寿老人を覚えたりするのが難しいかもしれませんが、名前をイメージと結びつけておくと覚えやすいかもしれません。
- 恵比寿は、海老で鯛を釣るイメージ
- 大黒天は、木槌で家を建てるイメージ
- 毘沙門天は、門の番人のイメージ
- 弁財天は、ベベンベンと音を鳴らすイメージ
- 福禄寿は、鶴と亀で福を呼ぶイメージ
- 寿老人は、鹿に乗ってお祝いに行く老人のイメージ
- 布袋は、ほてった体をうちわであおいでいるイメージ
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。