皆さんは「死後の世界の話」には興味はありますか?
よく、心霊もののテレビ番組などで、「生死をさまよってお花畑をみた」とか「三途の川の手前でまだ来てはいけないと言われた」などの話がありますが、いったい死後の世界とはどういうところなのでしょう。
また、賽の河原(さいのかわら)で石積みが行われるのにはどういった意味があるのでしょう。
そこで、この記事では、古くから日本で伝承されてきた死後の世界のお話をしていきながら、「三途の川」や「賽の河原」について解説していきたいと思います。
この記事では、
- 三途の川とは
- 十王信仰とは
- 三途の川の渡り方とは
- 三途の川の名前の由来
- 賽の河原での石積みの意味
- 現世での石積みの意味
- 全国の「賽の河原」と言われる場所
について解説・紹介しています。
三途の川とは
皆さんは「三途の川(さんずのかわ)」とはどのような場所かご存じでしょうか。
三途の川は、「彼岸(ひがん)」(あの世)と「此岸(しがん)」(この世)を分ける境界の川とされていて、
『この川を一度渡ってしまうと、二度とこの世へは戻ってくることができない』と言われています。
また、人は死ぬと7日目(初七日)に裁判が行われるのですが、その裁判を終えた死者が次に向かう場所とされています。
死後に裁判が行われるというのは、道教や仏教に結びついた「十王信仰(じゅうおうしんこう)」とよばれる考えに基づき、そのように言われています。
十王信仰(じゅうおうしんこう)とは
死後に行われる裁判などの概念は、『十王信仰(じゅうおうしんこう)』と呼ばれる『人が死んであの世に行くと、十王(じゅうおう)と呼ばれる10の王に裁きを受ける』という考えのことを言います。
人は死ぬと、中陰(ちゅういん)と呼ばれる生(陽)と死(陰)の間にいる状態、つまり幽体(ゆうたい)となって、次の「生」を受けるまでの49日間を冥途の旅(めいどのたび)をしながら裁判を受けて過ごすと言われています。
冥途(めいど)とは死後の世界のことで、あの世とも言われる場所です。
ちなみに、裁判を受ける日や、行う王は決まっており、下記のようになっています。
- 初七日(しょなのか) 7日目 秦広王(しんこうおう)
- 二七日(ふたなのか) 14日目 初江王(しょこうおう)
- 三七日(みなのか) 21日目 宗帝王(そうていおう)
- 四七日(よなのか) 28日目 五官王(ごかんおう)
- 五七日(いつなのか) 35日目 閻魔王(えんまおう)
- 六七日(むなのか) 42日目 変成王(へんじょうおう)
- 七七日(なななのか) 49日目 泰山王(たいざんおう)
- 百か日(ひゃっかにち) 100日目 平等王(びょうどうおう)
- 一周忌(いっしゅうき) 2年目 都市王(としおう)
- 三回忌(さんかいき) 3年目 五道転輪王(ごどうてんりんおう)
通常は49日目の裁判で終わりますが、救済措置として100日目・一周忌・三回忌の裁判が存在しています。
この裁判と同日に行われる私達が行う『四十九日の法要』は、裁判で極楽浄土へ行けるよう後押しする役割があると言われています。
そして、この裁判では、極楽浄土へ行けなかった場合、「六道(ろくどう)」と呼ばれる6つの世界のいずれかに行くことが決定されるのだそうです。
この、六道へ行くとは、6つの世界のいずれかで再び転生する(生まれ変わる)ことを意味しています。
六道は大きく二つに分けられていて、「三善道(さんぜんどう)」と言われる『天道』・『人間道』・『修羅道』の楽しみのある世界と、「三悪道(さんあくどう)」と言われる『畜生道』・『餓鬼道』・『地獄道』の激しい苦しみのある世界です。
では、六道を詳しく見ていきましょう。
①天道(てんどう)
天人が住む世界とされ、空を飛び、楽しく生涯を過ごすことができると言われています。
また、天人は人間より優れていると言われ、寿命はとても長く、苦しみも人間道より少ない世界とされています。
しかし、煩悩(ぼんのう)はあり、人間道のように解脱(げだつ)すること(仏になること)はできず、死に際は悲惨なものとなるようです。
②人間道(にんげんどう)
生・病・老・死の四苦八苦があると言われる、今私達が住んでいる世界が人間道になります。
苦しみばかりではなく、楽しい事もある世界です。
また、解脱することで唯一、仏になることができる世界とされています。
③修羅道(しゅらどう)
阿修羅(あしゅら)が住むとされ、戦いを繰り返す世界と言われています。
また、苦しみや怒りが絶えないようですが、地獄のような場所ではないとされています。
④畜生道(ちくしょうどう)
動物を始め、昆虫や鳥などの人間以外の生き物が住む世界とされていて、弱肉強食が繰り返される世界となっています。
本能のまま生きるしかなく、救いの少ない世界と言われています。
⑤餓鬼道(がきどう)
餓鬼が住む世界です。
餓鬼の姿は鬼に似ていますが、喉がとても細く、お腹は膨れあがっている姿をしています。
食べ物を食べると、口にした途端に火に変わってしまい、常に餓(う)えと、のどの渇きに悩まされる不浄な場所とされています。
また、欲望・物惜しみ・嫉妬が渦巻く世界となっており、餓鬼道から抜け出すことは難しいと言われています。
⑥地獄道(じごくどう)
地獄道は最も苦しみを受ける世界とされていて、前世の罪を償わせる世界となっています。
人間道の苦しみを一滴の水と例えるなら、地獄の苦しみは海と言われるほどで、苦しみの期間はとても長く、果てしない苦しみの世界とされています。
以上の世界が六道とされ、仏教ではこれらの迷いや苦しみのある世界を遠い昔から今に至るまで、生まれ変わっては死ぬというサイクルを続けてきたとされています。
この、永遠に終わりのないサイクルのことを『六道輪廻(ろくどうりんね)』と言い、唯一この苦しみの輪廻から抜け出す方法とされているのが「解脱(げだつ)」という煩悩(ぼんのう)を捨て去る修行を行い、仏となることとされています。
では、三途の川に話しに戻りますが、最初の裁判(初七日の裁判)が終わり三途の川へ向かった後、その川を渡ることになります。
この渡り方なのですが、『死者が生前に行った罪の重さで川の渡り方が決まる』と言われています。
三途の川の渡り方とは
三途の川の渡り方には3通りの方法があり、「罪の無い人」・「罪の軽い人」・「罪の重い人」で渡り方が変わるとされています。
【1】罪の無い人
「罪の無い人」は三途の川に架かる金銀七宝で作られた橋を渡ることができます。
【2】罪の軽い人
「罪の軽い人」は橋を渡ることができません。
したがって、山水瀬(さんすいせ)と呼ばれる川の浅瀬を足を濡らして渡ることになります。
【3】罪の重い人
「罪の重い人」はもちろん橋を渡ることはできず、三途の川の下流にある強深瀬(ごうしんせ)または江深淵(こうしんえん)と呼ばれる流れの速い荒れた深瀬を泳いで渡ることになります。
罪人は途中大岩が流れてきてそれにぶつかり死んでしまったとしても、また修復されて生き返るので泳がねばなりません。
そして、今度は大波で溺れて沈んでしまうと、そこには大蛇がいて待ち受けており、大蛇に飲み込まれてしまうとそのまま地獄に落ちてしまうと言われています。
さらに、罪人が必死で川を泳いだとしても顔を水面から出した途端に鬼が矢を放って襲ってくるという過酷な川となっています。
罪の重い人は亡くなって早々、過酷な試練が待っているなんて恐ろしいですよね。
けれども、この橋を渡るという考えは平安時代の終わりになると薄れていき、『渡し船』によって川を渡るという考えに変わっていくこととなります。
渡し船での渡り方とは
「渡し船」で三途の川を渡るには、渡し賃として「六文(ろくもん)」かかるとされています。
当時のお金の六文銭は、現在の価値に直すと300円くらいだそうです。
そして、三途の川には、「懸衣翁(けんえおう)」と「奪衣婆(だつえば)」と言われる鬼の老夫婦がいると言われています。
懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)とは
この夫婦は衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の生える三途の川のほとりに住んでいて、六文銭を持たない者が来ると、奪衣婆(だつえば)がその者の衣服を剥ぎ取り、剥ぎ取った衣服を懸衣翁(けんえおう)が受け取って衣領樹の枝に掛けるということが行われます。
衣領樹は生前の罪を計ることができる木で、衣服を掛けた枝は垂れ下がり、その垂れ下がり具合で罪の重さが分かるとされています。
罪の軽いものは川の浅瀬を、罪の重いものは川の深瀬を自力で渡らなければなりません。
しかし、六文銭を持っていれば罪の重さとは関係なく渡し船に乗ることができるため、当時の人達はいつ死んでも大丈夫なように六文銭を着物に縫い付けていたと言われています。
この六文銭を持つという行為ですが、現在では金属を持たせて火葬することはできないので、お葬式が行われる際には、棺(ひつぎ)の中に六文銭を印刷した紙を入れたり、おもちゃのお金や、金額の書いた紙を入れて無事に成仏できるように願うのだそうです。
また、この「懸衣翁(けんえおう)」と「奪衣婆(だつえば)」ですが、三途の川を渡りきった後に待っているという説もあり、その場合は、渡りきった者の衣服を剥ぎ取り、衣領樹に掛けて罪の重さを調べた後は、その後の裁判の判定に反映されると言われています。
そして、この時衣服を着ていないものは、懸衣翁によって皮を剥ぎ取られてしまうとも言われています。
「三途の川」について説明してきましたが、この「三途」という言葉の由来は二つの説があると言われています。
「三途」の名前の由来とは
「三途の川」には、先程説明した「橋・浅瀬・深瀬」の3通りの渡り方があることから「三途」と言われるようになったと一説には言われています。
もう一つの由来としては、『金光明経(こんこうみょうきょう)』と言われる仏教経典第1巻の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」という言葉から由来しているという説です。
仏教では、「三悪道」と呼ばれる『畜生道・餓鬼道・地獄道』を「三途(三塗)」と呼び、三悪道の世界は沈みやすく渡りにくいことから、川として例えられ、その名が付いたと言われています。
また、この「三途」は『血途(けつず)・刀途(とうず)・火途(かず)』の総称とも言われ、それぞれが『畜生道・餓鬼道・地獄道』にあてられています。
- 『畜生道』…お互いに食い合うことから『血途(けつず)または血道(ちみち)』とも呼ばれます。
- 『餓鬼道』…刀剣や杖で責められることから『刀途(とうず)』と呼ばれています。
- 『地獄道』…お互いを傷つけ殺し合う世界で、火や炎に焼かれることから『火途(かず)』と呼ばれています。
ちなみに、この『三悪道』は「三途の暗(さんずのやみ)」とも言われていて、死後の不安なことの例えとしても使われています。
「三途」の名前について説明しましたが、「三途の川」は、中国の経典により正式には「葬頭河(そうずが)」と呼ばれていて、他にも「三途河(しょうずか)」や「三瀬川(みつせがわ)」、「渡り川(わたりがわ)」といった呼ばれ方もしているようです。
賽の河原(さいのかわら)での石積みとは
「賽の河原(さいのかわら)」と言われる場所は、『三途の川の手前にある河原』のことを言います。
賽の河原は『親よりも先に死んでしまった子供達が集まる場所』とされていて、悲しいですが、その子供達は親不孝の罪とされ、その罪を償うために石積みを行わなければなりません。
これを「石積みの刑」と言います。
賽の河原の石積みは、10歳にならない6歳くらいまでの子供が集まる場所とされていて、幼く死んでしまった子供は、通常一度も前世で※功徳(くどく)を積むことができていません。
※功徳というのは良い行いをすることを言います。
そのため、三途の川を渡ることができず、本来であれば親より先に死ぬというのは重い罪になるため、五逆罪(ごぎゃくざい)となり、『無間地獄(むけんじごく)』と呼ばれる最も苦しいとされる地獄に落とされることになります。
しかし、その幼さから地獄行きにはならず、せめてもの親孝行として石を積んで仏塔を作ることで、功徳を積むように言われているのです。
そして、『石の仏塔を完成させることで橋を渡ることができる』とされています。
石積みの刑の内容とは
石積みの刑は、午前6時から午後6時まで大きな石を運んで山を作り、午後6時から午前6時までは小石を積んで塔を作るというものです。
子供達は、「ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため…」と一生懸命石を積みます。
しかし、やっと塔が完成するという所で鬼がやってきて、「このようなゆがんだ塔では功徳は積めない、しっかりと成仏を願って積み直せ」と塔を崩してしまうので、子供達は永遠と塔を作らなくてはなりません。
このように、鬼がやってくると子供たちの行いは無駄になってしまいますよね。
このことから「無駄な努力」のことを「賽の河原」と言ったりもするようです。
鬼に塔を崩され、子供達が報われないのはあまりにも残酷に思いますが、ちゃんと子供達を救ってくれる仏様が存在がしています。
その仏様とは「お地蔵さん」と呼ばれる「地蔵大菩薩(じぞうだいぼさつ)」です。
地蔵大菩薩は六道を巡っては苦しむ人を身代わりとなって助けているのですが、子供達にとっては唯一の救いとなります。
地蔵大菩薩は、子供達を一人ひとり抱き上げては優しく撫で、「何も泣くことはない、少し早く冥途の旅に来ただけなのだよ。お前達の親にはもう会えないが、私を父母と思って過ごしなさい」と子供たちを連れて三途の川を渡り、極楽浄土へと導いてくれる存在と言われています。
しかし一説によると、お地蔵様が現れて助けてくれるのは、子供達が罪を悔い改め、石積みを行った時だけとも言われています。
嫌々石積みを行ってもお地蔵様は助けてくれないということです…。
このように、子供達にとって「お地蔵様」は死後の世界で守ってくれる存在であったため、「子供の守護尊」として拝まれるようになりました。
現世での石積みとは
現在、様々な場所で石積みを見かけることがありますよね。
山の山道や神社の敷地、パワースポットと言われる場所にも作られています。
この石積みの理由として考えられるのは、下記の理由からと考えられます。
- 「神様を祀る」ため
- 「死者への追悼」のため
- 「願いを叶える」ため
しかし、中には「石積みアート」であったり、「ケルン」と呼ばれる目印として山道に積まれていたり、ただ遊びで積まれているという場合もありますので、石積みを見ただけでは理由が分からない場合がほとんどです。
①神様を祀(まつ)るためとは
「神様を祀る」というのは、村や集落などの境(さかい)とされる場所に「境の神(さかいのかみ)」を祀ることで、厄災や、悪霊などから守ってもらうという意味があります。
この「境の神」の中には、「賽の神(さえ(さい)のかみ)」や「道祖神(どうそしん)」と呼ばれる厄災の進入を防ぐ神や、人々を守るとされる「お地蔵様」、峠や山道で人々の安全を守るとされる「柴神(しばがみ)」などが存在しています。
一見有り難い存在のようですが、そこを通る者は必ずお参りをしないと祟(たた)られるとも言われているので、怖い存在でもあります。
このような神様を祀る場合、石で出来た像を置くことが多いようですが、石積みを置いて祀るということもされているようです。
②死者への追悼のためとは
死者への追悼として石を積む理由としては、あの世では子供たちの作った石の塔は鬼によって崩されてしまうので、代わりに塔を作ることで無事に成仏できますようにと願う気持ちから作られるようになったのではないかと言われています。
③願いを叶えるためとは
願いが叶うと言われるようになった理由は定かではありませんが、願いを込めながら石を積むと、願いが叶うと言われることがあるようです。
しかし、石を積むのはどこでもいいわけではないようなので、願いが叶うとされる場所で行って下さいね。
全国各地の賽の河原
石積みについて説明してきましたが、この世にも「賽の河原」と呼ばれる場所があるようなので、ご紹介していきます
青森県の賽の河原
青森県の下北半島に位置する恐山は日本三大霊山の一つとして有名な所で、「三途の川」を始め、「無間地獄」・「血の池地獄」・「極楽浜」などがあり、「賽の河原」で実際に石積みを見ることができます。
恐山にある「恐山菩提寺(おそれざんぼだいじ)」では「地蔵菩薩」が祀られてあり、水子(みずこ)供養で有名な場所となっていて、賽の河原にある石積みは、子供が成仏できるようにと参拝に訪れた父母が積んだものとなっているので、もし訪れる際には絶対に崩さないように注意して下さい。
新潟県の賽の河原
新潟県佐渡市願の北端にある「大野亀」と「二ツ亀」と呼ばれる一枚岩をつなぐ海沿いの遊歩道に賽の河原があります。
この場所にある海食洞窟では「地蔵菩薩」が祀られてあり、およそ300年前から信仰がある場所と言われています。
京都府の賽の河原
京都府京都市右京区西院にある「高山寺(こうさんじ)」には「地蔵像」が祀られてあります。かつて京都の西大路四条辺りには「左井川(さいがわ)」という川が流れていたそうです。
平安時代この川の河原は埋葬の地とされていたようで、石仏も供養のため多く飾られていたと言われています。
そして、この場所が「西院(さい)」という地名であったため、「賽の河原」と称し「西院(さい)の河原」とこの一帯を呼んでいたとされています。
現在では川も河原も無くなってしまいましたが、「高山寺」にある石碑には「西院之河原」と刻まれています。
まとめ:賽の河原は亡くなった子供達が親不孝の罪として石積みを行うところ
- 三途の川は「彼岸」(あの世)と「此岸」(この世)の間にある境界の川
- 賽の河原は三途の川の手前の河原のこと
- 親より早く死んだ子供は親不孝の罪となり三途の川を渡ることができない
- 石を積むことは仏塔を作ることと同じで、功徳を積むことができる
- 地蔵菩薩は賽の河原にいる子供たちを極楽浄土へと導いてくれる
いかがでしたでしょうか。
親より早く亡くなってしまった子供が親不孝の罪となるのはあまり納得がいきませんよね。
しかし、仏教の世界では、大変な思いをしてこの世に生んでくれた親を悲しませることは重罪となってしまいます。
そして、親が悲しみ続けている限り子供は極楽浄土へと旅立つことができないとも言われています。
悲しいことですが、このように言うことで親が悲しむことをやめて先に進めるようにしているのかもしれませんね。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。