「見ざる聞かざる言わざる」と言えば、目・耳・口を隠した猿が有名ですね。
しかし、「言葉や猿のことは知っているけれど、意味は分からない」という方が多いのではないでしょうか。
また、猿は3匹ではなく、実は4匹だったという話もあるようです。
そこで、この記事では、
- 見ざる聞かざる言わざるの意味や由来
- 元々3猿は4猿だった?
- 日光東照宮の三猿の意味
- 山口県にある「三猿まんじゅう」
- 三猿の英語表現
について解説・紹介していきます。
見ざる聞かざる言わざる「三猿」の意味や教訓とは?
「見ざる聞かざる言わざる」は、3匹の猿がそれぞれ、目・耳・口を塞いでいる姿を表す言葉となっています。
この言葉は、「~ざる(否定)」と「猿」を掛けた掛詞(かけことば)となっており、3匹の猿は「三猿(さんざる・さんえん)」と言われ、『人生の教訓を表したことわざ』とされています。
それでは、「見ざる聞かざる言わざる」にどのような意味があるのかを見ていきましょう。
「見ざる聞かざる言わざる」のことわざの意味とは
「見ざる聞かざる言わざる」のことわざには、次の意味があります。
『人は、自分に対して都合の悪いことや相手の欠点、過ちなどを見たり、聞いたり言ったりしがちだが、それはするべきではない』
ちなみに、「見ざる言わざる聞かざる」と言われることもありますが、「言わざる」と「聞かざる」の順番はどちらの順番でも良いとされています。
三猿の由来は?もともとは「三猿」ではなく「四猿(しざる)」だった?
「見ざる聞かざる言わざる」の三猿ですが、日本由来と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は世界中で存在しており、世界各地に三猿のモニュメントが作られています。
世界での三猿の由来については、はっきりと分かってはいないとされていますが、古代エジプトやインドにも作られていたことから、シルクロードを通り中国へ伝わった後、日本にも伝わったのではないかと考えられています。
儒教の開祖である孔子の教えをまとめた『論語』には、次の一節があります。
『非礼勿視(ひれいぶつし)、非礼勿聴(ひれいぶつちょう)、非礼勿言(ひれいぶつげん)、非礼勿動(ひれいぶつどう)』
この言葉を日本語に直すと、
「礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざれば行うなかれ」となり、この言葉の意味としては、次のとおりです。
『礼節に背くことに目を向けてはいけない、礼節に背くことに耳を傾けてはいけない、礼節に背くことを言ってはいけない、礼節に背くことを行ってはいけない』
「礼」とは、人間関係を円滑に行うための礼節のことを言っていて、自分の行動を慎み、相手に対して礼儀を払うことを言います。
このように、中国では「四猿(しざる)」となっていて、世界各国の中には、4匹の猿の像が作られているところもあります。
4匹目の猿は、手で股間を隠した姿となっており、「せざる」として性的な不道徳を戒める意味があると言われています。
日本で4番目の猿が伝わらなかった理由としては、
- 「四猿(しざる)」とすることで『死』を連想するから縁起が悪い
- 性的な表現は品がなく、そぐわない
などの理由が挙げられていますが、こちらもはっきりとしたことは分かっていないようです。
日本に伝わった三猿
日本に三猿が伝わったのは、8世紀頃と一説には言われており、天台宗の僧侶によって日本に伝えられたのではないかと考えられています。
元々、中国から『庚申信仰(こうしんしんこう)』が日本に伝わっていたことから、三猿と庚申信仰が結びつき、広まりやすかったとされています。
『庚申信仰』とは
『庚申信仰』とは、「庚申(かのえさる)」の日になると、体内の中にいる「三尸中(さんしちゅう)」が寝ている間に逃げ出し、その人が行った罪を天帝(閻魔大王)に告げてしまうため、「庚申」の日には一睡もしないという風習のことを言います。
※庚申の日とは、60日に一度巡ってくる、庚の申の日のことを指します。
平安時代には貴族の間で行われる風習でしたが、次第に民間にも広がることとなり、江戸時代には「庚申待(かのえさるまち)」と言われ、盛んに行われていたとされています。
この風習の本尊であり「三尸中」を抑える神様とされているのが、「青面金剛(しょうめんこんごう)」と呼ばれる仏様です。
そして、「青面金剛」の神使(しんし)とされていたのが「猿」でした。
告げ口封じの役割があるとされた三猿
猿が神使とされたのは、「庚申(かのえさる)」が申(猿)であったことや、猿を「山の神の神使」とする、天台宗の「山王信仰」と「庚申信仰」が結びついたことが影響していると考えられています。
このように神使とされた「猿」と「三猿」が結びつき、「見ざる・聞かざる・言わざる」には『「三尸中」の告げ口を封じる力がある』とされ、青面金剛と共に三猿が祀られるようになったと言われています。
ちなみに、福岡県福岡市早良区藤崎(さわらくふじさき)にある『猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)』では、60日に1度やってくる庚申の日になると「庚申祭(こうしんさい)」が行われています。
この「庚申祭」では神使とされる猿のお面が授与されているのですが、この「猿面」は「災難を祓い、福を授ける」と言われ、縁起物として親しまれています。
また、古来より猿は『馬の守り神』としても信仰されていて、このことが「日光東照宮」に三猿が作られた由来となっています。
「日光東照宮」の見ざる聞かざる言わざるの意味とは
「日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)」は、栃木県日光市に建てられた「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」を祀る神社です。
「東照大権現」は、江戸幕府の初代将軍であった「徳川家康」のことで、「東照大権現」というのは、家康の死後に名授けられた神号になります。
日光東照宮の建物には、さまざまな動物が作られていますが、このほとんどが平和を象徴しているのだそうです。
中でも有名なのは「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿ですが、こちらは境内の神厩舎(しんきゅうしゃ)の建物に作られており、神厩舎に猿の彫刻があるのは、猿が馬の守り神となっていたことが由来となっていて、馬小屋の火災防止や馬の健康を願って作られたとされています。
※神厩舎とは、神馬(しんめ)と言われる神様にお仕えする馬が生活する馬小屋のことを言います。
一般的には「三猿」が有名ですが、実は日光東照宮の神厩舎には他にも、7面で猿の彫刻が作られており、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は、8面あるうちの一つとなっています。
神厩舎の8面で作られた猿の意味とは
神厩舎 に作られた8面の彫刻にはそれぞれには意味があり、『人の生涯の生き方』を表したものとされています。
1面:赤子期
まず最初の1面目は、小猿を抱えた母猿の彫刻です。
母親の猿は遠くを見つめる姿となっており、小猿は母親の顔をうかがっています。
こちらの面は、子供の将来を母親が案じている様子を表したもので、母親の見つめる先には「びわの実」と「赤く染まった雲」があり、子供の将来が明るく実ることを暗示している面となっています。
2面:幼少期
2面目は、有名な「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿の彫刻です。
こちらの面は、何にでも影響されやすい幼い頃には、悪いことを見たり・聞いたり・言ったりせずに、良いことだけを取り入れて、素直な心で成長することを願った面となっています。
3面:少年期
3面目は、1匹の猿が横を向いて座っている彫刻です。
こちらの面は、独り立ちの様子を表したものとなっており、これからのことを考えているような猿の姿が印象的な面となっています。
4面:青年期
4面目は、2匹の猿が上を見上げている彫刻です。
こちらの面は、大人になろうとしている猿が希望を抱き、将来を見上げている様子を表したものとなっています。
また、「青い雲」が右上にあるのですが、これは高い志を表しているとされています。
5面:大人(挫折)
5面目は、前をしっかりと向き崖を飛び越えようとしている猿と、崖下を向いた猿、下を向いた猿を慰めるようにそっと手を乗せた猿の彫刻です。
こちらの面は、大人になって挫折を味わい、助け合いながら成長していく様子を表した面となっています。
6面:大人(恋の悩み)
6面目は、あぐらをかいて真っ直ぐ前を向いて座っている猿と、木の枝を渡っている猿の彫刻です。
こちらの面は、結婚という決断をしようとしている猿と、まだその状態に至っていない猿を表したものとなっているようです。
恋愛中の悩ましい様子を表した面となっています。
7面:夫婦
7面目は、荒波を見つめる猿と、手を差し伸べる猿の彫刻です。
荒波は人生の荒波を表しており、夫婦で助け合って人生を乗り越えていこうとする夫婦の姿を表したものとなっています。
8面:妊娠
8面目は、お腹の大きい猿の彫刻です。
様々な苦悩を乗り越え、子宝を授かった様子を表したものとなっています。
小猿だった猿も母親となり、子の将来を案じる親として再び1面へと戻り、また新たな世代へと続いていくという流れになります。
山口県俵山温泉名物の「三猿まんじゅう」とは
山口県長門市(ながとし)にある『俵山温泉(たわらやまおんせん)』は、古くからリウマチに効く療養泉として有名で、アンチエイジングにも良い美肌の湯として全国の人々に親しまれています。
その俵山温泉では、「三猿まんじゅう」が名物菓子として売られています。
なぜ「三猿」がモチーフになっているかというと、俵山の地に伝わる伝説が由来となっているからなのだそうです。
白猿伝説
俵山の地にある1匹の真っ白な猿がいました。
猟師はこの猿を射止めるため、来る日も来る日も猿を追いかけていました。
ある日のこと、傷を負った白猿が川で傷を癒やしている姿を見掛けた猟師は、ようやく猿を射止めることに成功しましたが、その瞬間たちまち白猿は消え失せ、薬師如来(やくしにょらい)が姿を現したそうです。
薬師如来は紫色に光る雲に乗り、奥山へ消えると、姿を現わした場所には温かい温泉が湧き出たといいます。
この白猿伝説の話から、猿がモチーフとなり「三猿まんじゅう」が作られるようになったとされています。
それでは最後に、英語圏では「三猿」はどのように言われているのかを紹介します。
「三猿」を英語で表現すると
英語圏で三猿の「見ざる・聞かざる・言わざる」は、次のように表現することができます。
『See no evil, hear no evil, speak no evil.』
そして、英語圏で「三猿」は、『Three wise monkeys』と言われています。
「wise」とは、「賢い」という意味なので、「3匹の賢い猿」という言葉になりますね。
言葉の意味としては、『厄介なことには関わらない方がよい』という意味を表したことわざとなっているようです。
まとめ:三猿は人生の教訓を表したもの
- 一般に使用されている「見ざる・聞かざる・言わざる」は、ことわざの三猿の意味
- 「三猿」は世界中で存在する
- 猿は馬を守る「守り神」とされていた
- 日光東照宮では、8面あるうちの一つが「三猿」となっている
いいかがでしたでしょうか。
「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は世界中に存在しており、日本由来のものではなかったことが分かりました。
世界では様々な教訓として使用されており、インドのマハトマ・ガンディーは、常に三猿の像を身につけていて「悪を見ない・悪を聞かない・悪を言わない」と教えていたそうです。
また、1968年に公開されたアメリカの映画である『猿の惑星』では、裁判のシーンで「見ざる・聞かざる・言わざる」のポーズをとる猿が登場し、頭を悩ますシーンとして描かれています。
このように世界中にあるとされる三猿ですが、明治時代に日光東照宮の三猿が海外に紹介されたことで、日本の三猿が世界で最も有名な三猿となったとされています。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。