日本には「名字」以外にも、「苗字」・「氏」・「姓」と4種類もの言い方が存在していますが、なぜこのようにたくさんの表現があるのか皆さんはご存知でしょうか。
「名字」・「苗字」・「氏」・「姓」には何か違いがあるのか疑問に思う方も多いと思います。
また、私達の名字はいつ、どのようにして決められたのでしょう。
そこで、この記事では、
- 名字・苗字・氏・姓に違いはある?
- 名字の歴史
- 名字の由来や決め方とは?
- 珍しい3文字・4文字・5文字の名字
について解説・紹介していきます。
名字・苗字・姓・氏の違いはある?
まず、名字(みょうじ)というのは、名前の最初の部分のことで、『家系(家族)を表す名』のことです。
例)田中・鈴木・佐藤など・・・
英語圏では、ラストネーム(Last Name)にあたります。
例)マイケル(First Name)ジョーダン(Last Name)
名字は、「苗字」と書かれることもありますが、これは戦前の名残で、現在は「名字」と表記されるのが一般的です。
歴史的な流れとしては、最初は名字と書かれていたものが、江戸時代に苗字と書かれるようになり、戦後に現在の「常用漢字表」の前身である『当用漢字表』が作られたことで、「苗」の読み方であった「みょう」が消えたため、再び名字と書かれるようになっていったと言われています。
ちなみに、常用漢字表では、「苗」の音読みは「びょう」、訓読みは「なえ・なわ」となります。
氏も姓も名字と同じ意味
また、法律上では名字のことを「氏(うじ)」、世間一般的には「姓(せい)」とも言うため、名字も苗字も氏も姓も、漢字や言い方が違うだけで『全て同じ意味』となります。
しかしながら、通常『公用文』には常用漢字を用いるように定められていますので、公的な文書には「名字」と記載する必要があります。
公用文というのは、国や公共団体が国民向けに発行する文章のことです。
したがって、個人的な文書などに「苗字」と書いたとしても問題ありません。
しかし、なぜこのように4種類もの言い方がされるのかというと、昔はそれぞれ意味が違っていたものが、明治時代になって1つの意味に統合されたからになります。
古代の氏と姓
氏も姓も、現在は名字と同じ意味で用いられていますが、平安時代よりも昔の古代日本(ヤマト王権)では「氏」と「姓」の意味は異なっていました。
氏姓制度における「氏」と「姓」
古代日本では、「氏(うじ)」と「姓(かばね)」の名を朝廷から授かる「氏姓制度(しせいせいど)」がしかれており、「氏」と「姓」には次のような意味がありました。
- 【氏】うじ
血族の集団を表す名前 - 【姓】かばね
王権との関係を表す地位の名前
氏(うじ)とは
氏とは、君主である大王(のちの天皇)の下に仕える「有力豪族(ゆうりょくごうぞく)」を区別するため名付けられた名前で、血族ごとに居住地の名(地名)や職業などを由来として氏が決められていたようですが、大王に氏を賜(たまわ)ることもあったとされています。
豪族とは、多くの土地や財産を持ち、一定の支配権を持つ一族のことをいいます。
血族の集団は「氏族(しぞく)」と呼ばれ、氏族の中の代表者を「氏上(うじのかみ)」、その主要構成員は「氏人(うじびと)」と言い、※「部民(べのたみ)」や「奴婢(ぬひ)」を従える組織となっていました。
※「部民」とは豪族が私有し、職能で奉仕する民のこと(ほとんどが農民)、「奴婢」とは奴隷(どれい)のことです。
部民や奴婢とは血縁関係はありませんでしたが、氏族に属しているため、彼らも氏族の一員とみなされ、氏族の名に部をつけた「○○部」と呼ばれていたようです。
古代の主な氏としては、「蘇我氏(そがうじ・そがし)」や「物部氏(もののべうじ・もののべし)」、「大伴氏(おおともうじ)」などが挙げられます。
ちなみに、氏族の名前の読み方の特徴として、「菅原道真(すがわらのみちざね)」や「源頼朝(みなもとのよりとも)」のように、氏の後には格助詞の「の」を入れて読むのが一般的で、「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」の場合だと「藤原氏の鎌足」という意味になります。
姓(かばね)とは
姓とは、朝廷に仕える氏族のみに与えられた称号のことで、ヤマト政権の中では氏族の地位を表すものでした。
姓には、「臣(おみ)」や「連(むらじ)」、「首(おびと)」、「君(きみ)」、「値(あたい)」などの名があり、その時代に巨大な勢力を持っていた蘇我氏は、最高の地位を表す「臣」の姓が与えられていました。
ちなみに、臣の姓を名乗る氏族の中でも、最も有力な者は「大臣(おおおみ)」と呼ばれていたそうです。
氏姓制度の再編
時は645年、「蘇我入鹿(そがのいるか)」の暗殺「乙巳の変(いっしのへん)」から始まった政治の大改革『大化の改新(たいかのかいしん)』により、好き勝手に振る舞っていた豪族達の政治は終わりを迎え、天皇を中心として政治を行う中央集権国家へと変わっていくこととなりました。
今まで豪族の所有していた土地や民は全て天皇のものとなり、政治体制も変わったため、672年の「壬申の乱(じんしんのらん)」を経て、673年に「天武天皇(てんむてんのう)」が即位すると、身分制度(姓)の再編として『八色の姓(やくさのかばね)』と呼ばれる8つの姓が新たに定められることとなります。
八色の姓(やくさのかばね)とは
八色の姓とは、新たに定められた氏族の地位を表す称号のことで、様々あった姓は次の8つの姓に整理統合されることとなりました。
- 【真人(まひと)】
天皇の子孫だけに与えられる最高位の姓です。 - 【朝臣(あそん)】
真人の次に高い地位を持ち、壬申の乱で功績のあった主に「臣」の姓を持っていた有力氏族に与えられた姓です。 - 【宿禰(すくね)】
上から3番目の地位を持ち、主に「連」の姓を持っていた神別氏族に与えられた姓です。 - 【忌寸(いみき)】
上から4番目の地位を持ち、主に渡来系の有力氏族や一部の国造系氏族に与えられた姓です。 - 【道師(みちのし)】
上から5番目の地位を持つ姓で、一説によると、技芸を伝える氏族に与えられた姓だと言われています。 - 【臣(おみ)】
上から6番目の地位を持つ姓で、もともと「臣」の姓を持っていた氏族に、地位が下げられたかたちで引き続き与えられた姓です。 - 【連(むらじ)】
上から7番目の地位を持つ姓で、もともと「連」の姓を持っていた氏族に、地位が下げられたかたちで引き続き与えられた姓です。 - 【稲置(いなぎ)】
上から8番目の地位を持つ姓で、もともと「稲置」の姓を持っていた氏族に引き続き与えられた姓です。
この地位を表す姓は平安時代になると、藤原氏を代表とする特定の氏族が上位の「朝臣」の姓を独占する状態となったため、氏同士の身分の区別がつかなくなり、実質意味を成さないものとなってしまうのですが、明治時代初期まで続いたとされています。
名字(苗字)の歴史
名字の始まりは、平安時代(794年~1185年)後期頃からと言われています。
公家(朝廷に仕える貴族)の間では、同じ氏・姓と言えど格の違いなどにより、その人物が属する「家筋」を区別する必要がありました。
そこで、各々が住んでいる屋敷のある通りの名やゆかりのある地名などを「家名」とし、家筋を表す名として家名で名乗り始めたことが貴族の名字の始まりと言われています。
そして、支配層の間では、氏(うじ)と姓(かばね)を合わせたものを、総称して「姓(せい)」と呼び、家名と区別していたそうです。
ちなみに、有力氏族であった藤原氏は、京都の地名や建物名から「近衛(このえ)」・「鷹司(たかつかさ)」・「一条(いちじょう)」・「二条(にじょう)」・「九条(くじょう)」などを家名としてつけたとされています。
武士は領地の名で名乗った
同じ頃、律令体制の崩壊と人口増加も相まって、新たな土地を開墾(かいこん)させ、その土地の私有化を認めたことなどから、次第に自分の領地を守るために武装した集団「武士」が登場することとなります。
そうして武士達は、 自らの領地を明確にするために領地に名前をつけ、自分達もその名を名乗ったことが、武士の名字の始まりとされています。
また、名字という言葉は、武士層の間で自らの持つ領土である「名田(みょうでん)の名」と「字(あざな)」と呼ばれる通称名を合わせた名前で呼び合っていたことが由来とされていて、最初は 「名字(なあざな)」と呼ばれていたそうです。
「字」というのは、本当の名である「諱(いみな)」の代わりに呼ぶ名前のことで、通常「親」と「主君」以外が諱で呼ぶことは大変失礼なこととされていました。
ちなみに、武将達は次のような名を持っていたとされています。
氏 (うじ) | 姓 (かばね) | 名字 (苗字) | 字 (あざな) 〈通称〉 | 諱 (いみな) 〈本名〉 |
平 (たいらの) | 朝臣 (あそん) | 織田 (おだ) | 三郎 (さぶろう) | 信長 (のぶなが) |
豊臣 (とよとみの) | 朝臣 (あそん) | 羽柴 (はしば) | 藤吉郎 (とうきちろう) | 秀吉 (ひでよし) |
源 (みなもとの) | 朝臣 (あそん) | 徳川 (とくがわ) | 次郎三郎 (じろうざぶろう) | 家康 (いえやす) |
庶民においては、かつては氏族由来の名である「〇〇部」という氏名(うじな)を持っていましたが、支配者の流動などから時代と共に忘れ去られてしまったそうです。
しかし、名字は天皇から賜るものではなく、自ら自由に決めて良いということもあり、室町時代(1336年~1573年)には多くの庶民が家のある地名から名字を作ったり、主人から褒美として賜ったりした名を名乗っていたと言われています。
名字が特権となった武士の時代
戦国時代(1467年~1590年)から江戸時代(1603年~1868年)にかけて行われた「兵農分離(へいのうぶんり)」の政策によって、武士とその他の階級を明確にし、武士を最高の地位に置く体制がとられるようになります。
その中で、名字は武士などの特権階級の者や、限られた一部の者しか名乗ることのできない特権とされたため、多くの庶民は名字を持っていたものの、公の場では名乗れなくなってしまいました。
また、かつては、領地を持っている証として「名字」が名乗られていましたが、時代と共に領地を持っていない人も家を表すものとして名字を名乗るようになっていたことから、江戸時代からは子孫や血筋を意味する「苗」を使った「苗字」へと表記が変えられることになったと言われています。
皆が名字を名乗れるようになった明治時代
江戸幕府が大政奉還を行い、武士の時代が終わりを迎えると、天皇を中心とした新政府が政治を行うようになり、近代的な国家へと変わる政策が行われるようになります。
その中で、江戸時代までの身分制度を廃止して、天皇・皇族以外の全ての人々の身分を同じにする政策が行われたことで、皆が「平民」となり、1870年(明治3年)9月19日に「平民苗字許可令(へいみんみょうじきょかれい)」が出されたことで、誰もが名字を名乗れるようになりましたが、最初の頃は税を課されるのではないかと警戒してなかなか名字を名乗る人がいなかったようです。
そのため、政府は1875年(明治8年)2月13日に「平民苗字必称義務令(へいみん みょうじ ひっしょう ぎむれい)」を出し、名字の使用を義務化したことで、全ての国民が名字を名乗り、戸籍に登録することとなったと言われています。
また、明治時代以前は「氏(うじ)」・「姓(かばね)」といった特別な「姓(せい)」がありましたが、1871年(明治4年)10月12日に出された「姓尸不称令(せいしふしょうれい)」によって『名字(苗字)+本名(諱)または通称(字)』のみを使用することが定められたことから、「氏」・「姓(かばね)」は廃止されることとなり、氏・姓(せい)・苗字・名字は一元化されることになりました。
名字の由来や決め方とは?
明治時代に出された「平民苗字必称義務令」により、名字を持たない平民は新しく名字を持たなければなりませんでした。
祖先から受け継いだ名字を持っている者はそれを名乗れば良かったわけですが、持たないものは新たに名字を作る必要があったわけです。
そして、名字の決め方には次のような方法があったとされています。
- お寺の住職や名主(庄屋)に付けてもらう
- 地域や集落の単位で皆で同じ名字を付ける
- 自分で考えて付ける
また、名字は地名や風景を由来とするものが多かったようですが、他にも由来となったものがありますのでご紹介します。
地名を由来とする名字 | 渡辺・佐々木・長谷川・石川・伊東・五十嵐・三浦・小野など |
地形や風景を由来とする名字 | 森・山・川・谷・田・池・林・原・浜などが入る名字 |
方位や位置関係を由来とする名字 | 東・西・南・北・上・中・下・左・右・前・後などが入る名字や、辰巳(たつみ)・乾(いぬい)など |
職業を由来とする名字 | 服部・鍛冶・庄司・郡司・鳥飼・大蔵・磯部など |
藤原氏を由来とする名字 | 伊藤・江藤・工藤・斎藤・近藤・後藤といった「藤」が入る名字 |
僧侶を由来とする名字 | 釈・方丈(ほうじょう)・天竺(てんじく)・梵(そよぎ)・万字(まんじ)など |
このようにして、日本国民全てが名字を持つようになったことで、現在では10万種以上もの名字があると言われています。
これは、世界的にみても大変種類が多く、珍しいことなのだそうです。
ちなみに、日本で多いと言われる「佐藤」・「鈴木」の名字ですが、全人口から考えると、どちらも1.5%ほどと実はあまり多くありませんが、地域によって割合は変わってくることになります。
珍しい3文字・4文字・5文字の名字を紹介
それでは最後に、珍しい名字を紹介します。
珍しい3文字の名字
- 阿知羅(あちら)
- 神孫子(あびこ)
- 五百久(いおく)
- 五百雀(いおじゃく)
- 一植庵(いちじゅうあん)
- 雅楽代(うたしろ)
- 雲類鷲(うるわし)
- 円満堂(えんまんどう)
- 燕昇司(えんしょうじ・つばくろしょうじ・つばくらしょうじ)
- 神楽坂(かぐらざか)
- 貴伝名(きでな)
- 木庭袋(きばくら)
- 黒武者(くろむしゃ)
- 華蔵閣(けぞうかく・けずかく)
- 小犬丸(こいぬまる)
- 五月日(ごがつひ・さつきび・ごがつび)
- 神太麻(こだま)
- 茶臼山(さきやま)
- 颯々野(さっさの)
- 佐曽利(さそり)
- 四王天(しおうてん・しおうでん)
- 獅子王(ししおう)
- 神々廻(ししば・ししべ)
- 七良浴(しちりょうさこ・しちろさこ)
- 十左近(じゅうさこん)
- 小鳥遊(たかなし)
- 躑躅森(つつじもり)
- 粟花落(つゆり・ついり・つゆおち・つゆ)
- 七々扇(ななおうぎ)
- 仁王頭(におうず・におうがし)
- 奴留湯(ぬるゆ)
- 紅粉谷(べにこや・べにや)
- 前国藤(まえくにとう)
- 廻り道(まわりみち)
- 卍山下(まんざんか・まんじやました)
- 六十里(むそり・ついひじ・ついふじ)
- 流鏑馬(やぶさめ)
- 乱獅子(らんじし)
珍しい4文字の名字
- 四十物谷(あいものや)
- 阿世比丸(あせびまる)
- 猜ケ宇都(あべがうと・あべがうど)
- 一番合戦(いちばんがっせん・いちばがせ・いちばんがせ・いちまかせ・いちばかせ・いまかい)
- 入南風野(いりはえの)
- 王来王家(おくおか・おうらいおうけ)
- 十七夜月(かのう)
- 一尺八寸(かまづか・かまつか)
- 黒はばき(くろはばき)
- 毛波目戸(けとめと)
- 茶屋垣外(ちゃやがいと)
- 百々米木(とどめき)
- 風呂ノ上(ふろのうえ)
- 八月一日(ほずみ・ほづみ・はっさく・やぶみ)
- 御手洗屋(みたらいや)
- 四月一日(わたぬき)
5文字の名字が最長
現在、実在している最長の名字と言われているのが、下記の2つの名字になります。
- 勘解由小路(かでのこうじ)
- 左衛門三郎(さえもんさぶろう)
しかしながら、明治時代に「正親町三条(おおぎまちさんじょう)」という名字から「嵯峨(さが)」へと改名した公家がいたことが分かっているほか、「十二月一日(しわすだ)」という名字が紹介されている書籍もあることから、かつては様々な5文字の名字があり、6文字以上の名字も存在していたのかもしれません。
まとめ:公的な文書には「苗字」ではなく「名字」を用いる
- 名字=苗字=氏=姓で、意味としては違いはないが、昔は区別があった
- 名字は、家筋や領土を表すものとして用いられるようになったのが始まりとされている
- 名字の多くは地名に由来するものが多く、明治時代に義務化されたことで国民全員が名字を持つこととなった
- 苗字の「苗」には、子孫や血族を表す意味があり、江戸時代から用いられるようになったが、戦後に再び「名字」と書かれるようになった
- 日本の名字は10万種以上と言われ、世界的に珍しいとされている
- 日本の最長の名字は5文字の2種類だけ
いかがでしたでしょうか。
現在は「名字」も「苗字」も「氏」も「姓」も同じ意味で用いられていますが、かつては意味の違う時代があり、明治時代に一元化されたことによって違いがなくなったことが分かりました。
ちなみに、戸籍上には「フリガナ」が登録されていないため、名字の読み方だけを変えたい場合は、市役所で手続きをするだけで意外と簡単に変更することができるようです。
※変更できない市役所もあるようですが・・・
例えば、山崎の読み方を「やまざき」から「やまさき」に変えたい場合は、市役所へ行き、フリガナの修正をお願いすれば住民票のフリガナの変更ができるというわけです。
しかしながら、明らかに漢字の読みと違うフリガナへは変更できませんので、あくまでも一般的な読み方に限ります。
また、フリガナの変更を行った際には、保険や通帳、クレジットカードなどの変更のほか、パスポートを持っている方は必ず変更が必要になりますので注意が必要です。
このように、氏名のフリガナに関しては戸籍上登録されないということもあり、家庭裁判所から許可をもらう必要はないため、比較的簡単な手続きだけで変更することができてしまうわけですが、近年、個人特定の妨げになっているとして「戸籍にフリガナを付けよう」という動きがでてきています。
法務省としては令和6年度(2024年度)を目処に実現を図るとのことなので、戸籍にフリガナが記載されることで、今後は簡単に読み方を変えることができなくなるかもしれません。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。