皆さんは、「いとおかし(いとをかし)」という言葉をご存じでしょうか。
中学校の古文の授業で習ったという方も多いと思いますが、実は一言では言い表せないほど、たくさんの意味があるようです。
また、若者言葉である「エモい」と同じ言葉と言われているようなのですが、実際はどうなのでしょう。
そこで、この記事では
- 「いとおかし」の意味・語源
- 「いとおかし」と「いとをかし」の違い
- 「いとおかし」の漢字はある?
- 枕草子に登場する「いとおかし」の意味
- 「いとをかし」と「もののあはれ」の違い
- 「いとおかし」と「エモい」は同じ言葉?
- 「いとおかし」の類語・対義語
- 「いとおかし」の英語表現
について解説・紹介していきます。
いとおかし(いとをかし)の意味とは?
「いとおかし」という言葉は、「いと」という言葉と、「おかし(をかし)」という言葉がセットになった『古語(こご)』になります。
古語とは、昔は使われていた言葉が現在では使われなくなり、廃れていった古い言語のことです。
「いと」は、程度の大きさをを表し、『たいへん』・『とても』・『非常に』という意味があります。
「おかし(をかし)」は、『趣(おもむき)がある』・『風情(ふぜい)がある』・『素晴らしい』・『美しい』などのたくさんの意味があり、日本の古典文芸において、美的理念(びてきりねん)を表す言葉の一つとされています。
まとめると、「いとおかし」は『ある物事に対して大きく心を動かされる感情』を意味する言葉となります。
古語である「おかし(をかし)」を訳す際には、文の内容によって様々意味が変わりますので、どのような意味があるか例文と合わせてご紹介します。
①趣(おもむき)がある・風情(ふぜい)がある・風流である
清少納言(せいしょうなごん)作『枕草子(まくらのそうし)』第一段より
【例文】「まいて雁(かり)などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし」
【意味】「まして雁(ガン)などが連なって飛んでいるのが、大変小さく見えるのは、非常に趣がある」
「趣がある」というのは、しみじみと感じる味わいや、心引かれる良い雰囲気のことを言います。
一般的に、古文に出てくる「おかし(をかし)」を現代語訳にする場合、「趣がある」と訳されることが多いです。
②美しい・優美である・可愛らしい
紫式部(むらさきしきぶ)作『源氏物語(げんじものがたり)』第5帖「若紫」より
【例文】「けづることをうるさがり給(たま)へど、をかしの御髪(みぐし)や」
【意味】「髪をとかすことをお嫌がりになるけれども、美しい御髪だこと。」
③優れている・素晴らしい・見事である
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作『更級日記(さらしなにっき)』「大納言の姫君」より
【例文】「笛をいとをかしく吹き澄まして、過ぎぬなり」
【意味】「笛を大変見事な澄んだ音色で吹いて、去って行ってしまったようだ。」
④面白い(興味深い)・心がひかれる
吉田兼好(よしだけんこう)作『徒然草(つれづれくさ)』第十九段より
【例文】「また、野分(のわき)の朝(あした)こそをかしけれ。」
【意味】「また、台風の翌朝も興味深く面白い。」
⑤滑稽(こっけい)である・おかしい(愉快)・変である(普通と違う)
平安時代末期の説話集『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』巻28第42話「兵だつる者、我が影を恐るること」より
【例文】「妻、「をかし」と思ひて、笑ひてやみにけり」
【意味】「妻は、「滑稽なことだ」と思い、笑って(この出来事は)終わった。」
いとおかしの語源
平安時代(794年~1185年)の古典文芸においては、その多くが美的理念を表す言葉として用いられていた「おかし(をかし)」ですが、それ以外にも『滑稽』や『変だ』といった意味でも用いられていました。
「おかし(をかし)」の語源は、はっきりと分かっていませんが、次の2つの説があります。
- (好意的な興味を持って)招き寄せるという意味の言葉である「をく(招く)」が語源という説
- (笑いものになるような)愚かなことや、馬鹿げたことを表す言葉である「をこ(痴・烏許・尾籠)」が語源という説
美的理念を表す「おかし(をかし)」は、好意的な意味を持つことから、「をく(招く)」の説が当てはまりそうですが、滑稽味の中から『心を引きつける』・『ほほえましく魅力的である』・『興味深い』と意味が生じたとも考えられています。
また、『趣がある』を意味する「おかし(をかし)」と、『滑稽さ』を意味する「おかし(をかし)」は、もともと別々の言葉として存在していたのではないかという考えもあるようです。
「おかし(をかし)」の時代的変化
室町時代(1336年~1573年)以降になると、「おかし(をかし)」は、滑稽味のある面白さを表す意味で用いられることが多くなり、美的理念としては用いられることが少なくなっていったとされています。
その後、現在の『笑いたくなる』・『普通とは様子が違う(変である)』という意味で定着し、「おかしい」という言葉になって現在に至るそうです。
ちなみに、「をかし」の語源の一つとされている「をこ」という言葉は、古語では「をこがまし」という形で用いられ、現在の「おこがましい=身の程を知らない」になったとされています。
「いとおかし」と「いとをかし」の違いとは
「いとおかし」という言葉ですが、本来の形で表すと「いとをかし」となります。
これは、歴史的仮名遣い(れきしてきかなづかい)である「いとをかし」を、現在の言葉である現代仮名遣い(げんだいかなづかい)に変換すると「いとおかし」と表記されるからです。
歴史的仮名遣いは、「旧仮名遣い(きゅうかなづかい)」とも言われますが、現代の仮名遣いとは異なる昔の仮名遣いのことを言います。
歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直す際には、以下のような決まりがあります。
- 「を・ゑ・ゐ・む」は、「お・え・い・ん」と表記する
(助詞の「を」は除く) - 「は・ひ・ふ・へ・ほ」は、「わ・い・う・え・お」と表記する
(助詞の「は」・「へ」は除く) - 「ぢ・づ」は、「じ・ず」と表記する
- 「あふ・いふ・えふ・かふ・きふ・けふ・さふ・しふ・せふ・・・」は、
「おう・ゆう・よう・こう・きゅう・きょう・そう・しゅう・しょう・・・」と表記する
以上のことから、「いとおかし」と「いとをかし」の違いは、『現代仮名遣いか、歴史的仮名遣いかの違い』となります。
ちなみに、現在「いとおかし」という言葉は古語となっていますので、正式な表記は「いとをかし」となります。
いとおかしの漢字はある?
「いとおかし」は、通常ひらがな表記で漢字はありませんが、当て字で漢字が用いられることがあります。
滑稽さを意味する「おかし」には、『可咲し』や『可笑し』
変だと怪しむ意味での「おかし」には、『奇怪し』が用いられています。
枕草子に出てくる「いとおかし(いとをかし)」の意味とは
『枕草子(まくらのそうし)』は、平安時代中期に「清少納言(せいしょうなごん)」によって書かれたとされる「随筆(ずいひつ)」になります。
※随筆とは、作者の体験などから得た感想を述べた散文(エッセイ)のことです。
「枕草子」は、「をかしの文学」と呼ばれるほど「おかし(をかし)」が登場し、美的理念を表す言葉として用いられています。
枕草子に登場する「おかし(をかし)」は、四季折々の風物などから感じとった味わい深い面白みや、喜びを表現するものです。
そのため、『明るい性質の知性的な感覚美』と称されていますが、簡単に説明すると、『素敵!・好き!・いいね!』と感じる気持ちを言います。
「いとおかし」と「もののあはれ」の意味の違いとは?
「もののあはれ」という言葉も、「いとおかし」と同様に、古典文芸においての美的理念の一つとされています。
平安時代中期に、「紫式部(むらさきしきぶ)」によって書かれた長編物語である『源氏物語(げんじものがたり)』では、「あはれ」が度々登場することから「(ものの)あはれの文学」と呼ばれています。
「あはれ」は、対象の事物に感情が触発されて生まれる『しみじみとした趣』や、運命には逆らえないという『どうしようもない寂しさ・悲しみ』を表す言葉です。
『趣』と言うと、「いとおかし」と似たように感じますが、「おかし」が意識的(理性的)に生まれる興味深い感情なのに対し、「あはれ」は情緒(じょうしょ・じょうちょ)的に生まれる繊細な感情という違いが有ります。
※情緒的とは、物事によって自然と湧き起こる様々な感情の変化のことを言います。
このことを分かりやすく説明すると、自分の価値観と合い、直感的に「いいな」と思うものが「おかし」で、心に染み入る「いいな」が「あはれ」になります。
また、「あはれ」は「おかし」のような明るい性質の感覚美ではなく、哀愁(あいしゅう)を含む『しんみりとする情緒美』を表すものとされています。
従って、「おかし」と「あはれ」の違いをまとめると、次のようになります。
「おかし」は、『直感的に心に湧き起こる明るい性質の興味深い感情』
「あはれ」は、『ある出来事から湧き起こる心に染み入るような哀愁を含む繊細な感情』
「いとおかし」と「エモい」は同じ意味?
若者言葉と言われている「エモい」という言葉をご存じでしょうか。
2007年(平成19年)頃から、若者の間で用いられてきた言葉で、2016年の『今年の新語2016』(三省堂)に登場したことで、広く知られるようになりました。
「エモい」というのは、英語の「emotional(エモーショナル)=感情的な」が由来とされていて、元々ロックミュージックのジャンルであった『エモ(エモーショナル・ハードコア)』から生じた言葉と言われています。
※日本語の「得(え)も言われぬ=言葉で言い表すことができない」が由来とする説もあります。
「エモ」は、感情的な音楽性と心情を吐露(とろ)するような歌詞が特徴のロックミュージックであったため、そのような音楽性を表す際に「エモい」という言葉が用いられていたそうです。
その後、音楽の分野以外でも「エモい」が用いられるようになり、『何とも言い表せない心の心情』を表す言葉として若者の間で定着したとされています。
「エモい」を表現する気持ちとしては、次のようなものがあります。
- 趣がある(しみじみ・味わい深い・懐かしい・ノスタルジック)
- 感動的である(言葉で言い表せないグッとくる心情・美しい)
- 感傷的である(寂しさ・悲しさ・切なさ)
- ヤバい(すごい)
このような心の動きは、「いとおかし」や「あはれ」と同類のものと言われています。
「エモい」という言葉は、「いとおかし」・「あはれ」のどちらの要素も含むため、「いとおかし」と同一とは言えませんが、「いとおかし」よりも幅広い意味で使用できる便利な言葉と言えるでしょう。
古語「いとをかし」の類語
古語である「いとをかし」の類語は、「あはれ」や「おもしろし」という言葉が当てはまります。
「おもしろし」という言葉は、『趣がある・素晴らしい・楽しい・興味深い・珍しい』といった意味があります。
「いとをかし」と「おもしろし」は非常によく似ていますが、「おもしろし」は、『明るい性質のものを目の前にした時に、心が晴れやかになるような感情』を表す際に用いられるようです。
「いとをかし」の対義語
「いとをかし」の反対を意味する言葉としては、「すさまじ」という古語があります。
現代の言葉である「すさまじい」の語源となる言葉ですが、現代とは異なる意味でも用いられていました。
「すさまじ」という言葉は、
『おもしろくない・興ざめ・情趣(じょうしゅ)がない・殺風景である・寒々しい・ものすごい』といった意味があります。
いとおかしを英語で表現すると?
「いとおかし」という言葉を英語で表す場合、そのまま対応できる言葉が英語圏に存在しないため、「おかし(をかし)」がどのような意味で用いられているかによって英語が変わります。
ちなみに、「いと」は『very』で表現できます。
①趣がある・風情がある・風流であるの場合
『quaint』(古風で趣がある)/『tasteful・elegant』(風情がある・風流である)
②美しい・優美である・可愛らしいの場合
『beautiful』(美しい)/『scenic』(景色の美しさ)/『graceful・splendid』(優美)/『aesthetic』(芸術的美しさ)/『sophisticated』(洗練された)/『lovely・sweet・pretty・cute・charming・appealing』(可愛らしい)
③優れている・素晴らしい・見事であるの場合
『great・excellent・oustanding』(優れている)/『wonderful・amazing・cool・awesome・good・fantastic』(素晴らしい)/『impressive・marvelous・fabulous・perfect・impreccable』(見事である)
④面白い(興味深い)・心がひかれるの場合
『interesting・interested』(面白い)/『charmed・attract・fascinated』(魅了される・心ひかれる)
⑤滑稽である・おかしい(笑いたくなる)・変である(普通と違う)の場合
『humorous・funny・comical』(滑稽である)/『amusing・laughable・risible』(おかしい)/『strange・weird』(変である)
まとめ:「いとおかし」の意味は、ある物事に対して大きく心を動かされる感情のこと
- 「いとおかし」は、「趣がある」・「滑稽である」など、様々な意味がある
- 「いとおかし」は、「いとをかし」を現代仮名遣いに変換したもの
- 「いとおかし」に漢字はないが、当て字が用いられることがある
- 枕草子に出てくる「いとをかし」は、美的理念を表す言葉として使用されている
- 明るい性質の興味深い感情である「おかし(をかし)」に対し、「あはれ」は、心に染み入るようなしんみりとした感情を表す
- 「いとおかし」と「エモい」は、同類の言葉
- 「いとおかし」の類語は、「あはれ」・「おもしろし」、対義語は「すさまじ」
いかがでしたでしょうか。「いとおかし(いとをかし)」は、様々な意味を持ち、美的理念を表す言葉の一つとされていたことが分かりました。
ちなみに日本には、『雅(みやび)』・『幽玄(ゆうげん)』・『侘び寂び(わびさび)』・『粋(いき)』など、美的理念を表す言葉がたくさん存在しています。
このような美意識を表す言葉が確立したのは平安時代からと言われていて、時代と共に廃れていった言葉もありますが、少しずつ変化しながらも現代に受け継がれてきました。
近年では、『エモい』・『萌(も)え』・『映(ば)える』などの新しい美的理念も登場し、時代と共に新たな言葉が次々と生まれていくことを実感させられますが、中には若者言葉を受け入れがたいと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
清少納言の「枕草子」の中にも、当時の若者の言葉の乱れを嘆くような一節が登場しています。
しかし、昔から若者言葉や流行語、ましてや誤った用いられ方をした言葉がいつの間にか一般的となり、定着してきたことを考えると、「言葉はそのように変化していくもの」と割り切って考えることで受け入れやすくなるかもしれません。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。